寄付受付開始日:2025/03/29
更新日:2025/03/29
2025年3月28日午後3時20分頃(現地時間)、ミャンマー中部のマンダレー付近を震源とする大規模な地震が発生しました。今回の地震では、現時点で1000人以上が死亡したと報道されていますが、各地で道路や通信が遮断され、被害の全容はいまだに明らかになっていません。また、隣国タイでの首都バンコクでは建設中の高層ビルが倒壊し、救助活動が行われているということです。現場ではおよそ100人が取り残されているとみられ、一夜明けた29日も行方不明となっている人たちの捜索活動が続けられています。
これを受け、ピースウィンズが運営する災害緊急支援プロジェクト「空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"」は、地震発生直後から情報収集を開始、緊急支援を決定しました。
ピースウィンズはこれまでにも、2008年に発生したサイクロン「ナルギス」の被害者に対する緊急支援をはじめ、2015年にミャンマー全土で発生した大規模な洪水被害でも緊急支援活動を行っています。今回発生した地震に関しても、現地の被災状況およびニーズを調査の上、現地との連絡を密に取りながら、今後、緊急支援を展開していく予定です。
被災地に、皆さまのあたたかいご支援をお願いいたします。
皆様からいただいたご寄付は、2025年にミャンマーで起こった地震の被災地・被災者支援活動に大切に活用させていただきます。
・人や動物に対する食料および救急医療用品等の物資支援
・避難所への緊急物資支援
・被災地の復旧・復興支援
・その他被災地のニーズに応じた支援
・支援に伴う事務局運営費
※ピースウィンズ・ジャパン寄付金など取扱規程は下記をご参照ください。
特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン寄付金等取扱規程
更新日:2025/04/16
これまで国内外のさまざまな被災地で支援活動を行ってきたピースウィンズの事業調整員が、思わず言葉をもらしました。
「発災から13日もたっているのに、まだこんな場所で避難生活をしなければならないのか……」
被災者はお寺の境内に集まり、テントと呼ぶにはあまりにも簡素な、木に張ったビニールひもにブルーシートをかけただけの日陰の下で数十人が寝泊まりしています。プライバシーなどはなく、レジャーシートの上で2週間近く住んでいる状況です。
避難者を悩ます猛暑とスコール
避難所の様子を調べていると、突然「オツカレサマデス」とつたない日本語で呼び止められました。2年間日本語を勉強しているという学生です。「私は今お母さんとこのスペースに暮らしています」指差した先には、たった1枚敷かれたシートと小さな枕、何枚かのブランケットとうちわが置かれています。
「今は、支援物資を受け取りに行ってきました。お水とお弁当。中身はお米と小さなおかずが数種類です。それからお菓子やインスタントヌードルなどがもらえました」そういってお弁当の中身を見せてくれました。
また、避難所では誰もが当たり前のようにシート1枚で地面に寝ていますが、聞けば「毎日固いところで寝て腰が痛くて仕方ない」という声も聞かれます。特に高齢者にとってはとても厳しい避難環境です。
避難所生活の長期化が予想されるなか、この状態を少しでも改善していく支援を考えていく必要があります。さらに喫緊で求められているのが、これから迎える雨期への対策です。
ミャンマーは今、一年で最も暑い季節を迎えており、これからは雨期へと入っていきます。
40℃を超す猛暑も被災者を苦しめる大きな要因でしたが、4月に入り少しずつ雨が降るようになってきてからはその雨もまた、避難者の生活を苦しめています。この時季、15分程の短い時間とはいえ、強烈な風とともに横殴りのスコールが街を襲うことがあるのです。
「この間の雨のときは、みんなでお坊さんの宿舎に逃げ込みました。雨が降るとこの場所は本当に大変なんです」と当時のことを話してくれました。
幸いにもインタビューの直後、この避難所にも3〜4人用の避難テントが運ばれてくることになり、ようやく雨におびえなくて済む壁のあるテントで寝泊まりできることに、誰もが胸をなで下ろしていました。
しかし、テントがあれば問題が解決するわけではありません。むしろこれまでオープンスペースだったから全員が入れていたこの場所にテントが設営されるため、引き続き全員がここで避難できるのか? 増え続ける避難者の数にトイレの数は足りるのか? 密集する避難生活の中で感染症予防はできているか? など、あらたな課題も出てきています。
ピースウィンズでは、こうした目の前の状況をモニタリングしながら、今後の中長期の支援で必要なものの調査も進めています。
笑顔を届け、“信頼される診療所”へ
ピースウィンズが現在医療支援を行っている臨時診療所もこの避難所の横にあります。今回のミャンマー地震の緊急支援チームを率いる稲葉医師は「私たちが支援するのは医療だけではない」といいます。
「私は医者なので医療支援が本分ですが、大規模災害時に必要とされる支援は医療だけでは到底カバーできません。安心して住める場所、健康的に食べられるもの、生活再建への道筋、被災者にとって必要なものは人それぞれ異なります。われわれも支援団体として医療だけではなく、物資や今後の中長期にわたって支援を続けていくことを視野に、長い目で心に寄り添う支援を考えていくことが大切です」
2025年4月7日から開設した臨時診療所には、毎日多くの患者がやってきます。電気もインターネットも通っていないなかで、“日本からやってきた”診療所のことは少しずつ口コミで広がり、30名の患者が診察を受けに来た日もありました。
子どもたちの姿も増えてきています。これまでに多くの被災地で医療支援を行ってきた空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の看護師たちが、「とにかく明るい気持ちになれる診療所にしたい」と、受付待ちの間に遊べる塗り絵を準備したり、子どもたちに配るお薬袋にはかわいいシールを貼ったり、問診に使うバインダーはキャラクターがデザインされたものを使用しています。
先行きが見えない厳しい環境のなか、ほんの少しでも笑顔になってもらうために。こうしたささやかな心遣いが“信頼できる診療所”として被災者に愛されるきっかけになるのかもしれません。
【ミャンマー 地震 緊急支援】寄付受付を開始
ピースウィンズは、ミャンマーで起きた大規模地震による被災者を救うための支援を行っています。みなさまからのご寄付が活動の力となり、被災者の命を救い未来につながります。
災害で苦しむ人々のために、あたたかいご支援をお願いいたします。
※国外での支援活動のため、商品など物資寄贈のお申し出はお受けしておりません。
お寺の境内を見渡すと、一昨日までは100人ほどだった避難者の数は明らかに増え、聞けばすでに避難者の数は130世帯、400名ほどにまで膨れ上がっているといいます。
「もう家では生活していけない。追い出されるまではこの避難所で暮らすしかないわ」と、避難者の一人が力なく答えました。
家も仕事も失い、物価は高騰する厳しい現実
ミャンマー中部を襲った大地震、その震源に最も近い都市ザガインでは多くの家屋が倒壊し、被災者は体にも心にも深い傷を負いました。
「今はとにかく怖い。わが家は崩れずに残ったけれど、家の中に入って寝ようとはまだ思えません。夜にまた地震が来たらきっと逃げられません。4月21日までは余震に気をつけるようにと人から聞いたので、それまでは家で寝泊まりするつもりはありません」
マンダレーやザガインの住民は、これほど大きな地震を経験したことはなかったといいます。さらにマグニチュード7.7の地震以降もほぼ毎日のように断続的な余震は続き、2週間がたった2025年4月13日にもマグニチュード5.5の大きな地震が発生しました。
「一度目の地震では崩れなかった建物も実は多かったんです。だからみんな避難せず家にいた人もたくさんいました。二回目が来るなんて誰も想像してなかった。揺れが収まって安心していたところに二発目の地震が来て、それでたくさんの家が崩れました」
震源にほど近い都市ザガインでは、多くの避難者がお寺や運動場などの場所、あるいは今も道路沿いや壊れた家の前のスペースに自らテントを立てて避難生活を送っています。今回、お寺に避難しているある40代の女性がお話を聞かせてくれました。
「地震で家が崩れてからこのお寺にお世話になっています。震災前は私もバイクタクシーの仕事をして家族の生活を支えていましたが、バイクも壊れて仕事もなくなりました。
地震が起きてからいろいろなものの値段が上がっています。これまで700チャットで買えていたペットボトルのお水は1,000チャットを超えています。ガソリンは倍近く値上がりしました。ガソリンがなければ、どこかに買い物に行くのも困難です。
崩れた家の解体やがれきの撤去も自分でお金を出して業者を呼ばないといけないので、そのお金も必要ですし、その後は家を建てることも考えないといけません。避難所にいればとりあえず寝る場所と、水と食事は何かしら受け取れますが、住職さんがいつまでここにいることを許してくれるか……この先のことは、何も見えません」
住職の不安「どうやってこの避難者を食べさせていくのか」
一方で、現在130世帯400人近くの避難者を受け入れているお寺の住職も、今後の不安を口にしていました。
「もともとミャンマーは助け合いの精神が強いので、今は多くの個人や国内団体が支援物資を持ってきてくれます。物資がここに集まっているから避難者は減るどころか、むしろどんどん増えている。避難者への食事も今は行き届いていますが、この支援がいつまでも続くものではないと思っています。
本当に恐ろしいのは、寄付がなくなった後にどうやってこの避難者を食べさせていくのか。当面はわれわれも面倒を見る覚悟ですが、いつまでもというわけにはいきません」
被災者も、現地の支援者も、将来への不安はむしろ少しずつ大きくなってきています。
当面は医療支援とともに、避難所で支援活動を行う現地NGOに物資支援を行ったり、ソーラーランタンを導入することで避難所の住環境を整備するなど避難生活をサポートしていきますが、今後は経済的な困窮により、被災をきっかけにホームレスになる人が増えることも危惧されています。こうした状況に対し、ピースウィンズは現地提携団体との連携を模索しつつ、中長期の物資支援や生活再建の被災者支援を計画しています。
【ミャンマー 地震 緊急支援】寄付受付を開始
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2025年4月6日、マンダレーからさらに震源に近い町ザガインに入ると被害の様相は一変しました。
「すでに発災から1週間以上経過しているのに、現場の空気感はまるで発災2日目の能登半島地震の被災地のようだ」(『ミャンマー地震』緊急支援チームリーダー稲葉医師)。
倒壊家屋の多くは煉瓦(れんが)づくりの建物で、バラバラになった煉瓦(れんが)が山のように積み上がり、果たしてその家がどんな形だったのか想像することすらできない状況です。消防署までもが倒壊し、立ち並ぶ消防車や救急車がつぶれた1階の中に取り残されていました。
ミャンマー医学生との出会い
現地の病院を訪ねると、余震による病棟の倒壊を恐れてか、患者の多くは外のテントで寝かされており、野戦病院さながらの異様な空気に包まれていました。医療のニーズは明らかに高く、医療関係者と話し合いと調整を行った結果、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”による臨時診療所を開設することが決定。医療チームは、即座に指定された設置場所に向かいました。
臨時診療所の設営準備を進めていたところに、ミャンマーの医学生に出会います。
「自分にはまだ医師免許はないけれど、地域を巡回しながら医療につなげる必要がある人たちを探して回っていて、すでに何名か早く治療しないといけない人が見つかっている。私たちにできることがあるなら手伝うから、その診療所で診てあげてほしい」
ボランティアとしてザガインに来ていた彼らは真剣な表情で状況を説明します。患者の写真や状態から即座に現場に向かうべきと判断したチームは診療所の設営と同時進行でその患者たちの待つ家に看護師を向かわせました。
放置される重症患者「お金がないから病院には行けない……」
到着してすぐ、竹のベッドでぐったりと横になる男性をみて坂本看護師はがくぜんとします。
崩れてきた家屋の下敷きになったという50代の患者は両足を骨折しており、片方の足は骨が筋肉を突き破り飛び出している開放骨折。さらに腰と胸にも痛みを訴えており、腰も骨折の疑いがある重度の外傷を負っていました。両足は定規ほどの小さな竹で固定され、わずかな包帯が巻かれているのみ。傷口は腫れて熱感もあり、破傷風などの感染のおそれもある状態です。しかし……
なぜ病院に行かないのか。その理由は「お金がないから行けない」といいます。治療費はもちろん、病院へ行くための交通手段(現地では救急車を呼ぶにも多額のお金がかかるとのこと)もないために、家族は彼を家のベッドに寝かせ自力で必死に看病していました。薬も包帯も十分にない中、男性はひたすら全身を襲う激痛に1週間以上耐え続けていたそうです。
病院に行くことに異常なほど警戒心をもつ家族に「診療所では決してお金は取らない。このままでは傷が治らないどころか、進行する感染症で命を落とす。一刻も早く治療につなげなければ死んでしまう」と必死に説得し、急きょ、男性を診療所に連れていくことに。すでに担架での搬送は不可能な状態だったため、ベッドごと搬送できるトラックを手配して、空飛ぶ捜索医療団の臨時診療所まで搬送しました。
稲葉医師はすぐに診療を開始し、運び込まれた男性の症状を確認すると、両足の切断も検討しなければならないほどに症状が悪化していることが判明。稲葉医師は、ご家族に対して症状を説明し、命の危機すら迫っていることを丁寧に伝えました。
残念ながら臨時診療所では手術できるほどの設備はなく、地元の病院も、建物が被害を受けていたり、患者でパンクしていたりするため、搬送することは難しい状況です。
こうしたときに必要なのが、支援者同士のネットワークです。すぐに手術設備の整っている他国の支援チームにも応援を要請し、手術も可能な大規模な医療テントを持つインドの医療支援チームが患者を受け入れてくれることになりました。
「もっと早くこの地に支援が届いていれば、この男性は両足切断などという究極の選択を迫られることはなかったかもしれない……」
痛みと恐怖に顔をゆがめる彼を見て、もっと何かできることはなかったのかと、医療チームの誰もが葛藤しました。しかしあのとき、ボランティアで来ている医学生が彼を見つけ、また臨時診療所がザガインにできてすぐに診断ができたからこそ、適切な処置ができる場所へと命のバトンを渡すことができました。
医療チームは、彼の元に駆け寄り、震える男性の手を握り締め、大きな声で「よくがんばった。これで助かるんだ!」と声をかけて見送りました。
震源に近いザガインで臨時診療所を本格始動
ザガインには、有名な寺院がいくつも存在します。その多くの寺院が今回の地震による被害を受けましたが、一部の寺院が避難所や物資の配布場所になっています。空飛ぶ捜索医療団が医療支援を行う臨機診療場所もお寺の敷地内の一角。4つのテントを借り受け、持ち込んだ医療資機材を設置して臨時の診療所を立ち上げました。前述した患者は、まさにその設営中に起きた出来事です。
ミャンマーの被災地に入った当初、医療チームは「発災からすでに一週間以上が経過しているのだから外傷患者はもう減っている」ものだと考えていました。
しかし、実際に臨時診療所を開始すると、いまだに骨折などの外傷患者が多くやってきます。現場の医療の混乱に加え、最初に診た重症患者同様、治療費などが払えない経済的な理由や、医療サービスへのアクセスがない、病院への不信感など、さまざまな理由でいまだに適切な治療を受けられずにいる被災者が多く存在していたのです。
また、地震による直接的な外傷でなくとも被災して持病のお薬がなくなってしまったり、避難生活で体調を崩してしまったりする方も多くみられました。「そういった被災者から日本の支援はとても期待されている」と、稲葉医師はいいます。
「現在、被災地周辺では複数国が医療支援を展開していますが、日本の医療テントにはほかの国のテントと比べて多く患者が訪れていると聞きます。実際、今日診察した女性も、10年間病院にはかかりたくなかったけれど、日本人の医師が来ているなら相談したいと言って私たちのテントを訪ねて来てくれました。その期待に私たちは応える義務がある」
この日臨時診療所を受診した患者は22名。お医者さんに診てもらえて喜ぶ人もいれば、つらい被災経験をとつとつと語り涙を流す患者もいました。
被災地には、家も家族も失い、将来に希望の持てない人がいます。稲葉医師をはじめ医療チームは、医療という枠を超えて一人ひとりと向き合い、時に手を握り、共に涙を流し、肩に手をあて、背中をさすり、言葉は通じなくとも“心の通う”支援を続けています。
【ミャンマー 地震 緊急支援】寄付受付を開始
ピースウィンズは、ミャンマーで起きた大規模地震による被災者を救うための支援をおこなっていきます。みなさまからのご寄付が活動の力となり、被災者の命を救い未来につながります。災害で苦しむ人々のために、あたたかいご支援をお願いいたします。
※国外での支援活動のため、商品など物資寄贈のお申し出はお受けしておりません。
2025年3月31日にタイ・バンコクにて準備を進めていた空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の緊急支援チームは、3日間にわたって関係各所と調整と交渉を続け、4月3日夜に正規の手続きを経て入国と支援活動の許可を取得。4月4日朝の便でミャンマーに入国しました。ミャンマー入国から被災地マンダレーに到着するまで、現地からレポートします。
国際社会がチームとなった大きな支援力が求められている
2025年4月4日、タイ・バンコクからミャンマー・ヤンゴンへ。機内に入ると、乗客のなかには各国からの支援隊の姿がみられ、以前、国際的な災害訓練で顔を合わせたことのある緊急医療隊のメンバーにも遭遇。今回のピースウィンズの支援チームのリーダーでもある空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の稲葉医師も久しぶりの再会に笑顔を見せていました。
ミャンマーのように共有される情報の少ない災害現場において、信用できるコネクションが現場にどれだけいるかは、事業の成功だけでなく、自分たちの安全確保という点においても大きな意味を持ちます。空港で情報を交換しあい、お互いの無事を祈ってそれぞれの目的地へと向かいました。
「国内外でさまざまな訓練に出る意味は、こういうところにもある」と稲葉医師はいいます。平時の訓練は、チーム力を底上げするために重要ですが、同時にそこで生まれたコネクションや友情が災害の現場では人の命を救い、支援の効果を最大化させることにもつながります。
ひとつのチームではできることが限られていても、大きなネットワークのなかでつながり合えるチームがあれば、それだけ救える命も増えていきます。
発災から1週間がたった2025年4月4日時点で、死者3,100人超、負傷者4,500人超、行方不明者は200人超と発表されていますが、実際には支援が届いていない地域もあり、もっと多くの人が被害に遭っているといわれています。今回のような未曽有の災害では、個の力だけではなく、国際社会がチーム一丸となった大きな支援力が求められているのです。
被災地で高まる災害関連死の危険
ヤンゴンは、人口・経済規模からミャンマーの東京といえる国内最大都市。そして震源地にほど近い、今回の目的地のひとつでもあるマンダレーは、ヤンゴンに次ぐ国内第2の規模を誇る商業都市です。
「ヤンゴンを東京に例えるならば、マンダレーはいわば大阪のような巨大都市。大阪のど真ん中を深さ10kmという非常に浅い震源の大地震が襲ったと考えれば、この地震のインパクトが想像できるでしょう。
大きな被害に加えて、国内の通信状況が非常に不安定なことで、国際社会に提供される被害情報は決して多くありません。そのため各支援団体での情報共有や連携が重要になってきます。すでに発災から1週間が経過し、緊急性の高い外傷を負った人々は減ってきてはいますが、気温が40℃を超す環境下で家を失った大勢の被災者がいます。このまま十分な支援が行き届かなければ、災害関連死の危険性が非常に高い状況です」(稲葉医師)
国内事情に精通するスタッフによると、ミャンマーの多くの建物は震度3程度の揺れでも倒壊するおそれがあるといいます。被災人口は1,700万人を超えるといわれるなか、ミャンマーはこれから4月にかけて1年で最も高温になる季節を迎えます。
必要な物資を調達し、被災者のもとへ
2025年4月4日、支援チームはミャンマーに入国後、ヤンゴンからタウングーまで移動。翌4月5日朝にはタウングーから首都ネピドーまで車を走らせ、被災地でのニーズの高い水をはじめ、ソーラーランタン、ウォータータンク、マスク、消毒剤、医療用手袋などこれからの支援に必要な物資を調達し、280km先の被災地、マンダレーに向かいました。
隣国タイまで来て、一秒でも早く現場に行きたいのに許可がおりないという状況にチームは悩まされましたが、これまでの支援活動で築いてきた知見とあらゆるネットワークでつながった人々と連携し、日本国内にいるスタッフも含めたチーム一丸となって調整業務を続けてきました。この日、被災地にようやくたどり着けたことで士気は高まっています。
この日、マンダレーには夜、到着。明日から被災地での活動が始まります。
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ピースウィンズは、ミャンマーで起きた大規模地震による被災者を救うための支援をおこなっていきます。みなさまからのご寄付が活動の力となり、被災者の命を救い未来につながります。災害で苦しむ人々のために、あたたかいご支援をお願いいたします。
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※当募金ページに記載の内容については、プロジェクトオーナーが責任を負っており、LINEヤフー株式会社が責任を負うものではありません。詳しくは免責事項をご覧ください。
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◆認定特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン
認定NPO法人ピースウィンズ ・ジャパンは、日本に本部を置き、国内外で自然災害、あるいは紛争や貧困など人為的な要因による人道危機や生活の危機にさらされた人びとを支援する国際協力NGOです。これまでに世界各国に支援を届けてきました。日本国内での社会問題の解決を目的とした活動にも力を入れており、地域活性化や犬や猫の殺処分ゼロを目指した動物の保護・譲渡活動などに取り組んでいます。
医療を軸とした災害緊急支援プロジェクト「空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"」を運営し、国内外の災害被災地で支援活動を行っています。
このプロジェクトでは1回3,000円以上の寄付から領収書の発行が可能です。
※クレジットカードでの寄付に限ります。詳しくはヘルプページをご参照ください。
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