災害で失われる命を救うために(空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”)

寄付受付開始日:2023/10/27

  • 領収書あり
[災害で失われる命を救うために(空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”)]の画像
モルドバでの仮設診療所での医療支援の様子(2022年4月11日 モルドバ キシナウ市)

認定特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン

プロジェクト概要

更新日:2025/09/12

詳細はこちら

国内外の被災地に、支援の手を。

ピースウィンズ・ジャパンが運営する空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は、大規模災害の被災地で医療支援を行う災害緊急支援プロジェクトです。
「一秒でも早く、一人でも多く」被災者を助けたい。その想いを胸に、被災地にいち早く駆けつけます。

航空機やヘリコプター、医療船などを駆使して、医師や看護師、レスキュー隊員、災害救助犬などの救助チームを現地へ派遣。捜索から野外病院運営まで、医療を軸とした救助・救命活動を行います。

外部パートナーと連携して取り組んでいます

また、自治体・自衛隊・消防などと連携することで、物資支援や避難所運営など被災者に寄り添った活動をスピーディーに実施しています。

●大規模災害「未治療死」をなくしたい
首都直下型地震では、発災後8日間で、約6,500人が病院に搬送されても治療を受けられずに死亡する可能性があるという試算があります。<防災科学技術研究所/日本医科大学の研究グループ>

トルコ大地震の被災状況(2023年2月8日 トルコ ハタイ県)

約10万5,000人の死者・行方不明者を出した関東大震災から2023年9月で100年になりました。この間、私たちは自然の猛威による「想定外」に繰り返し翻弄(ほんろう)されてきました。
阪神大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)では多くの医療機関が機能不全に陥り、大勢の人が適切な治療を受けられずに亡くなっています。
発生が見込まれる首都直下地震で約6,200人、南海トラフ巨大地震では約8万人もの「未治療死」が出るとの試算もあります。

空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の紹介、現場での活動について

●「フィールドホスピタル(野営病院)」の整備・運営事業
私たちが運営を目指しているフィールドホスピタル(野営病院)では、診療所レベルの医療体制に併せ、ヘリコプターなどのロジスティクスを活用した患者搬送機能をもちます。
特に大規模な災害が発生した際、多くの医療機関では体制がひっ迫し、本来受けられるはずの治療が受けられず亡くなってしまう「未治療死」による犠牲を減らすことを目的としています。

空飛ぶ捜索医療団によるフィールドホスピタル(2022年12月10日 高知県 田野町)

このフィールドホスピタルを展開できることで、被災地域でひっ迫する医療機関の能力をサポートすることが可能となります。

●民間支援団体による災害医療支援船の運用を開始
大規模災害への備えとして、ヘリパッド付きの災害医療支援船の運用を開始、民間支援団体による3,500トン級の災害医療支援船の運用は、国内初となる取組みです。
 今後起こると予想される南海トラフ地震や首都直下地震などの大規模地震では、陸路が寸断されるため、空と海の活用が災害対応の肝になるとされています。

災害医療支援船 Power of change(2023年5月10日 マレーシア ラブアン島)

●これまでの支援活動
東日本大震災以降、空飛ぶ捜索医療団の前進となる災害支援チームから、私たちはほぼ全ての激甚災害に出動し、民間組織として支援活動を実施してきました。
災害発生が予測される場合に、発生前から対象地域に入って備えることや、声が届きにくい被災者に寄り添い、行政の支援が行き届かない地域や自主避難所などにも支援を行うことは、民間ならではの強みです。

【これまで行ってきた支援活動】※一部抜粋
・2019年9月 九州北部での豪雨災害、台風被害への支援活動
・2020年1月 コロナウイルス感染拡大時の物資提供
・2022年2月 コロナウイルス罹患(りかん)者が急増したパラオでの医療支援
・2022年3月 ウクライナ危機における避難民支援
・2023年2月 トルコ・シリア地震での被災地支援
・2023年5月 石川県能登地方地震での被災地支援
・2023年9月 ハワイ・マウイ島山火事被災地支援

災害発生時のレスキューの様子(2018年9月7日 北海道 胆振東部)

地震や豪雨、台風などの災害発生時には、被災地に医師や看護師・薬剤師を即時派遣。医療活動のほか、避難民の捜索や高齢者家庭への戸別訪問も実施しました。

コロナウイルス感染拡大時のワクチン接種の様子(2021年4月16日 愛媛県 新居浜市)

2020年1月、新型コロナウイルスの感染が広がりパンデミック(世界的大流行)が始まって以来、2023年現在に至るまで、全国各地への医療支援および不足している医療物品の物資支援を継続してまいりました。その数は4,300カ所以上にのぼります。

モルドバでの仮設診療所での医療支援の様子(2022年4月11日 モルドバ キシナウ市)

ロシアからのウクライナ侵攻では隣国モルドバに仮設診療所を設置し、医師・看護師・薬剤師などによる医療支援や物資支援、避難所整備を行いました。

マウイ島訪問時の様子(2023年8月17日 マウイ島 コミュニティーセンター避難所)

また、ハワイ・マウイ島での山火事発生時には、日本の団体としていち早く、現地へのスタッフ派遣を行い、支援活動を行いました。

被災者の皆様の声を聞きながら、私たちだからこそできる支援を継続しています。引き続き安全を第一に活動していきますので、皆さまのあたたかいご支援をお願いいたします。

空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”ホームページ

空飛ぶ捜索医療団 災害時に本当に現場に届く支援を ふるさと納税で応援

寄付金の使いみち

災害発生時から復興まで、空飛ぶ捜索医療団の支援活動は多岐にわたります。
みなさまからのご寄付は、災害支援に必要な人や資機材の準備・維持およびそれらを活用した支援活動、現地での医療支援、地域住民の方々のための避難所設営、備蓄品では賄えない医療や衛生用品、食料などの物資購入等に使わせていただきます。

●皆様のご寄付が、次なる災害支援に役立てられます。
1. 緊急時、本当に現場に届く支援を
国内外における災害発生時に「一秒でも早く、一人でも多く」救うため、いち早く現場に駆け付け、レスキュー、医療、物資など、必要とされる支援を届けます。

2. あらゆる場面に適応した資機材や物資の調達を
必要な機材や物資を日ごろから準備・メンテナンスを実施。船舶や野営病院における実際の支援を想定した体制を強化し、被災地域の人々に貢献してまいります。

3. 医療を通じ、安心して住み続けられる地域づくりを
へき地の病院・クリニックの応援を継続。オンライン診療・オンライン面会、訪問看護などにも取り組み、地域の人々の健康を守ります。

●ご寄付の活用例
【1,000円】避難所生活にかかせない衛生キット2箱分になります
【3,000円】薬の継続が必要な方の緊急処方7日分になります
【10,000円】体ひとつで避難した人が3日間過ごせる避難セットになります
【50,000円】ヘリで患者1名を搬送した場合の平均費用7日分になります

※ピースウィンズ・ジャパンへの寄付は、寄付金控除の対象となります。
詳しくはこちら

※ピースウィンズ・ジャパン寄付金など取扱規程は下記をご参照ください。
特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン寄付金等取扱規程(PDF)

"#emergencyrelief"
#グッドギビングマーク認証団体
"#Donationdeduction"
#coupon

活動報告

更新日:2026/04/13

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あの日、もっとできることはなかったかーARROWS2026年4月の活動報告(2026年4月13日更新)

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「あの日、もっとできることはなかったか。」
令和6年能登半島地震など大規模災害の現場で、私たちは常にこの問いと向き合い続けてきました。ぬかるむ道、断絶されたインフラ、そして避難所に漂う疲弊感。これらを単なる「経験」で終わらせないために、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”はその知見を「科学」へと昇華させていきます。
空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”団体紹介動画も併せてご覧ください。
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第31回日本災害医学会レポート|能登、ミャンマーでの教訓を科学する。避難所の質とクラスターアプローチ 空飛ぶ捜索医療団からの提言
令和6年能登半島地震では、災害対応における官民連携の重要性が改めて注目されました。

医療や介護の分野では保健医療福祉調整本部が設置され、行政と民間などがうまく連携して動くことができたと評価されています。しかし一方で、「物資」「住居」「トイレ・衛生」「教育」といった暮らしに直結する分野では、官民をまたいだ情報共有や役割分担を決める会議体が十分に整っていませんでした。

その結果、本来は別の担当であるはずの「食べ物やトイレの困りごと」までが、医療の相談調整窓口である保健医療福祉調整本部に集中してしまい、現場が混乱する場面が見られたのです。

保健医療福祉調整本部に全国各地から集まった災害支援チーム(2024年1月、石川県珠洲市)

世界の人道支援の現場では、役割ごとに専門会議体(クラスター)を作り、その中心には全領域の調整役となる機関を配置することで「誰が・どこで・何をするか」を整理し無駄をなくす仕組み(クラスター・アプローチ)が国際標準として存在しています。

国内災害においてもクラスター・アプローチという包括的な支援体制の仕組みづくりの必要性を実感した令和6年能登半島地震。
たとえば、Aという支援団体が避難所で聞き取り調査をした後、Bという団体が全く同じ質問を被災者にする。こうしたことも、疲弊している被災者の方々の負担となっていました。

今後は、各チームが専門分野の枠を超えて避難所全体を把握する視点を持つことが求められます。さらに、個々の避難所の状況を把握できるレベルで、避難所コーディネーションの機能を配置することの重要性が示唆されます。

各チームが専門分野の枠を超えて避難所全体を把握する視点を持つことが求められる(2024年1月、石川県珠洲市)

「助ける人」を燃え尽きさせないために。被災地の海に浮かぶ休息拠点
被災地で避けられない重要な課題として存在しているのが、支援活動の裏にある『助ける人を、誰が助けるのか』というテーマです。
支援活動に従事する救援者たちも、ときに「隠れた被災者」と呼ばれるほど、深い苦悩を抱えています。

空飛ぶ捜索医療団はこの課題に対し、現地のインフラに頼らず自立して動ける『船舶』を活用し、支援者が短時間でも心から休める拠点を作る活動を進め、令和6年能登半島地震では実際に船を拠点として運用しました。
利用した支援者からは、現場での船の存在がいかに重要であったかを物語る、次のような声が届いています。

「温かい食事やシャワー、プライベートな空間があるだけで救われた」
「心身の栄養補給、シャワーによる清潔の保持によって翌日の活動効率をあげることができた」
この経験から船という独立した空間が支援者の精神面も整え、活動を続けるための力になることが実証されました。

今後は被災地での活動と、心身の回復を両立させる『支援者支援』のかたちを、日本の災害対応における新しいモデルとして確立し、持続可能な支援のあり方を追求し続けます。

「国際緊急援助」を科学する NGOの支援力、それを支えるチーム力
紛争と自然災害が重なる「複合災害」の現場では、通常の公的支援だけでは対応しきれない課題が多くあります。私たちが緊急支援に駆けつけた2025年3月ミャンマー地震の現場、震源地に近いザガイン地域もその一つでした。

現地の保健局から要請を受け現地入りし、10日間で199名の診察を行った(2025年3月、ミャンマー)

ザガイン地域は地理的・政治的な理由から、ほかの国際緊急支援チームが入り込めていない空白地帯だったため、私たちはミャンマー国内のNGOをカウンターパートとして、現地の保健局から要請を受け現地入りし、10日間で199名の診察を行いました。

こうした過酷な環境での活動を支えているのが、日本国内の本部による「遠隔(オフサイト)サポート体制」です。
現地で活動するスタッフは常に心身の疲弊や危険と隣り合わせのため、日本の本部では、現地の治安や被害状況を常にモニタリングし、現地スタッフの健康状態を毎日チェックして適切な休息を促しています。

日本と世界のチームが手を取り合う未来へ
地震や洪水など予測不能な大規模災害が起きたとき、被災地には一分一秒を争う災害医療支援が求められます。そんなとき日本国内の支援チームだけでなく、海外から「国際緊急医療チーム(I-EMT:International Emergency Medical Team)」が駆けつけてくれることがあります。

国際緊急医療チーム(2025年3月、ミャンマー)

しかし、海外の支援チームが日本でスムーズに活動するためには、言葉の壁だけでなく法律の壁や、時間のかかる各種手続き、そして診療ルールの違いなど多くのハードルがあるのが現状です。そこで活用できるのが、空飛ぶ捜索医療団のようなNGOとの「柔軟な連携」です。

外国人医師が日本で医療行為を行うための法的調整を待つ期間であっても、空飛ぶ捜索医療団のパートナーとして、まずは「人道支援」の枠組みで私たちの活動をサポートしてもらうなど、一刻も早い支援活動の開始を可能にする「橋渡し役」を担います。

私たちはこれまで、国内外の数多くの被災地に駆けつけてきました。そこにあるのは、言葉では言い尽くせない過酷な現実です。
目の前で失われていく命、あと一歩届かなかった支援。現場で味わった「悔しさ」は、今も私たちの胸に深く刻まれています。

「もし、もっと早く到着できていたら」
「もし、現地の情報をより正確に把握できていたら」
——その痛みこそが、私たちを突き動かす原動力となってきました。

時として私たちの想像を絶する力で襲いかかってくる災害(2024年1月、石川県珠洲市)

災害は、時として私たちの想像を絶する力で襲いかかってきます。それでも、私たちは歩みを止めません。
「一秒でも早く、一人でも多く。」——空飛ぶ捜索医療団はこれからも、経験を知恵に、知恵を希望に変えながら、挑戦を続けてまいります。

空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”団体紹介動画も併せてご覧ください。

【団体紹介】空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”❘一秒でも早く、一人でも多く。

3.11の記憶とこれからーARROWS2026年3月の活動報告(2026年3月31日更新)

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2011年3月11日。私たちにとって、忘れてはいけないあの日。
空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”のプロジェクトリーダーを務める稲葉医師にとって、東日本大震災は初めての災害現場でした。「被災地に行けば誰かを助けられて、絶対に役に立てる」。しかし、その経験はトラウマのように今なお“もっともつらい記憶”として深く刻まれることになります。悔しさと情けなさに支配された3.11、その記憶をたどってもらいました。

大学病院の病棟で、いつものように看護師として勤務していた新谷(しんがい)看護師。携帯電話やテレビの画面越しに飛び込んできた、信じがたいほど凄惨(せいさん)な被災地の光景に「何かをしなければならない」という衝動が、胸を突き上げました。これが人生を大きく変える、長い旅路の始まりでした。

張り詰めた緊張感のなか、宮内看護師の心ににじむ強い使命感。その光景は、かつて阪神・淡路大震災の焼け野原で何もできなかった高校生の自分を揺り起こし、彼女の人生に切れることのない「支援のスイッチ」が入りました。
3.11あの日、何が起きたのか。現場の証言と15年の進化を映像でもご覧ください。

特設サイトはこちら
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一番しんどく、つらい経験(プロジェクトリーダー・稲葉基高)

プロジェクトリーダー・稲葉基高

当時、岡山済生会病院で外科医として働いていた稲葉医師は、発災時、ちょうど手術をしていました。手術を終えて休憩室に入ると、テレビから津波で車が流されていく映像が飛び込んできて、みんな言葉を失って動けずにいました。

同院で厚生労働省が組織するDMAT(災害派遣医療チーム)に所属していた稲葉医師は、60人の隊員と一緒に自衛隊の飛行機に乗り込み、花巻空港に向かいました。しかし、花巻空港では一歩も動けず、結局何もできませんでした。空港に患者を集めることが難しく、稲葉医師たちが津波で被災している場所に出向いていく手段もなかったためです。

悔しい、情けない、やり場のない怒り。いろいろな感情を抱えながら、患者さんのために用意した毛布にくるまっていると、地元の婦人会の方がおにぎりを握って持ってきてくれました。情けなくて食べることができず、むしろ自分たちが被災地の負担になっているのではないか?結局、何もできないまま花巻空港から撤退。それが一番しんどく、つらい記憶になりました。

人からの指示を待って、言われたことだけをこなしていく立場では、この悔しさや情けなさを乗り越えることはできないのではないか?この思いが、NPO職員で常勤の医師という大きなキャリアチェンジに挑戦するきっかけとなりました。

そして2025年、大船渡の山火事の緊急支援で、3.11以来およそ15年ぶりに花巻空港へ。さまざまな光景や感情が強烈によみがえってきました。今後、災害が起きて誰かの役に立ったとしても、ずっと消えないその記憶。

あのときの悔しさは間違いなく今につながっていて、能登半島地震の支援では、東日本大震災のときとはまったく異なる思考で活動できました。あの現場でできることはすべてやり切った感覚があります。東日本大震災ではできなかった、患者さんや被災者に向き合う支援を。

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DMAT隊員として自衛隊機に乗り込み、花巻空港に向かう(2011年3月、大阪伊丹空港)

「何もしない」という選択肢。(看護師・新谷絢子)

看護師・新谷絢子

千葉県の大学病院の病棟で、看護師として仕事の真っ最中だった新谷看護師。大きな揺れが病院を襲い、揺れが収まってもその日はずっと大混乱でした。2011年3月末で病院を退職することを決めていましたが、「こんな混乱のなかで職場を去っていいのか」と葛藤が芽生えます。

被害の大きさを知るうちに「現地に行って、必要とされるところで動きたい」と感じるようになり、予定通り退職。「必要とされていることがあれば何でもやる」と決めて、被災地にボランティアとして入ることを選びました。

初めて現地に入ったのは宮城県石巻市。出会った人たちは誰もが何かを失っている状況でした。「なんで自分だけ生き残ってしまったんだろう」多くの被災者の方から吐露されたその言葉には、生き残ったことへの深い罪悪感と葛藤が凝縮されていました。医療の知識も、看護のスキルも、その絶望の前ではあまりに無力でした。

時間をかけて気づいたことは、「何かしなければ」と焦って動くことや、何か行動することが、必ずしもその人のためになるとは限らないということでした。行動で“示す”ことばかりが支えではなく、ただ寄り添い、同じ空間をともにする、そばでそっと伴走することにも意味がある。

時に、支援が被災された人の心身の負担になることがあり、誤った支援が誰かを傷つけている現実も知りました。現地や被災された人に押しつけの支援をしない。本当に必要な支援を届けることにこそ意味がある。 それが3.11から得た、大きな学びです。

本当に必要な支援を届ける。(2011年3月、宮城県石巻市)

▶インタビュー全文はこちら

私の「災害支援」にスイッチが入った(看護師・宮内恵美)

看護師・宮内恵美

岐阜県の救命救急センターで看護師として働いていた宮内看護師。3.11、次々とテレビに流れてくる被災地の衝撃的な映像。そのすぐ傍で、さっきまで穏やかな笑顔で仕事をしていた先輩方の表情が一変しました。

緊張した面持ちでDMATの制服に身を包み、急ぎ足で出動していくその背中に強い憧れを抱いたのです。当時、シングルマザーとして仕事と子育ての両立に精一杯だったはずなのに、『自分も行かなきゃ』という思いに突き動かされました。

そして発災から10カ月後、初めて被災地へ。津波で何もかもがなくなってしまった光景に、嗚咽が漏れるほど涙があふれ出ました。それが災害支援活動の始まりでした。

3.11をきっかけに災害支援の道を歩みはじめた宮内看護師は、実は大阪の出身です。高校生だった阪神・淡路大震災の当時、私たちを助けるために駆けつけてくれた多くの人々への感謝は、片時も忘れたことはありません。

何かしたくていろいろな所に申し出たけれど、子どもだったため何もさせてもらえませんでした。今も災害支援を続けているのは、あの時の感謝だけでなく、何もできなかった自分への「悔しさ」が原動力になっているのかもしれません。

この15年間で確信したのは「変わらなければならない」ということ。自分自身の信念や「こうありたい」という姿勢を強く持ちすぎると、時に目の前の相手の意思を置き去りにし、自分の望む方向に誘導してしまうことがあります。現在の肩書は「看護師/業務調整員」。看護業務以外にも、隊員の育成を担当しています。

災害現場は極限状態。アドレナリンが出て誰もが緊張し、周りへの配慮が難しくなることもあります。だからこそ、そんな過酷な場所でも仲間にちょっとした一言をかけたり、ユーモアを忘れないような、心の余裕を持てるチームでありたいと思っています。いつものARROWSのまま、どこへでも駆けつけられる。そんな強くて温かい組織を形づくっていくことが、今の挑戦です。

▶インタビュー全文はこちら

【東日本大震災】3.11で何が起きたのか|現場の証言と15年の進化
東日本大震災 "3.11" から15年。災害支援・災害医療の現場で何が起き、私たちは何を学びどう変わってきたのか。
今だから語れる当時の思いと、今につながる支援の進化の記録です。
「忘れない」、それ以上のことを皆さんと一緒に。ぜひ動画でご覧ください。

「ひとりでも多くの被災者に会いに行く」ーARROWS2026年2月の活動報告(2026年2月12日更新)

2年前、大地震に見舞われた石川県珠洲市において、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の運営団体であるピースウィンズ・ジャパンは能登の未来を育む拠点「すずっこひろば」をオープンしました。

2024年4月よりピースウィンズ・ジャパン珠洲事務所の調整員が「すずっこひろば」にこめた想いとは?

また、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の運営母体である特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンは、2026年1月19日に釧路管内6町村と、災害等緊急時の支援協力に関する協定を締結。
今後も自治体との連携をさらに深め、平時からの備えを強化するとともに、発災時にはいち早く現場へ駆けつけ、医療をはじめとするさまざまな支援を展開していきます。

【能登半島地震】能登の未来を育む拠点「すずっこひろば」が2025年12月25日にオープン!

子どもたちの心身の健やかな育成と多世代交流の拠点となる施設「すずっこひろば」(2025年12月、珠洲市)

空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の運営団体であるピースウィンズ・ジャパンは、石川県珠洲市において、子どもたちの心身の健やかな育成と多世代交流の拠点となる施設「すずっこひろば」を、2025年12月25日(木)にグランドオープンしました。

本施設は、吉川晃司氏と布袋寅泰氏によるロックユニット「COMPLEX」からの寄付金を活用し、(一社)能登官民連携復興センターが実施する「能登復興支援事業」の支援を受けて実現しました。

【能登半島地震】子どもたちに「ふるさとはここだよ」と伝えたい――石川県・珠洲事務所調整員 瀬川しのぶ

珠洲市で支援活動を続ける珠洲事務所の瀬川しのぶ(2026年1月、珠洲市)

2024年1月1日に石川県の能登半島で発生した大地震では、死者・行方不明者は594人(うち災害関連死364人)に上り、全壊家屋6,520棟、半壊・一部破損家屋158,120棟、加えて日本海沿岸の広範囲を津波が襲い(場所によっては4メートルを超えた)、土砂崩れや火災、液状化、それに伴う交通網の寸断などによって多くの人の生活が一変しました。

追い打ちをかけるように同じ年の9月21日に発生した集中豪雨で、さらに多くの人が家や生業を失いました。今回は2024年1月1日に大震災に見舞われた石川県・珠洲市で支援活動を続ける珠洲事務所の瀬川しのぶに話を聞きました。

地震発生当日、出身地である輪島市にいた彼女。
短大卒業後、郷土料理に興味がわき地元へ戻った彼女は、フードコーディネーターとして食を中心に能登の人々とつながりながら仕事をしていました。その最中に地震が発生。商品開発やイベントの仕事がなくなり、「どうやって生きていこうか」とかなり気落ちしていたそうです。

そんな時、YouTubeなどで空飛ぶ捜索医療団ARROWSの活動を目にし、母体であるピースウィンズがスタッフを募集していることを知って電話をかけたことがきっかけとなり、チームの一員になりました。
当初は彼女自身も被災者としてのつらい気持ちが抜けず、被災者の方のお話を聞きながら泣いてしまうことも。それでも、とにかく前に進もうと、珠洲市の応急仮設住宅約1,600世帯に家電を配りきりました。

被災者の方のお話を聞く(2026年1月、珠洲市)

そして、2025年暮れにピースウィンズが事務所をおいているのと同じ建物に「すずっこひろば」を開設。珠洲市内には子どもが安心して遊べる屋内施設が少ないので、オープンが待望されていました。

世界農業遺産に登録されている能登をふるさとに持つ子どもたちに、海や山など美しい自然の中で遊んだ記憶を残してもらいたい。「すずっこひろば」を拠点に、能登の自然と食文化と人、その豊かさを心に刻むことのできるプログラムを発信していく予定です。
それが地元の人間として、できること。能登の子どもは外に出てしまうことが多いけれど、「ふるさとはここだよ」と伝えたい。

行政とは違う立場から被災者を支えるピースウィンズには、いろんな相談事が持ち込まれ、それはまるで“よろず相談所”のよう。音楽イベントや学生ボランティア、病院でのイベントなど、市から依頼されたイベントの窓口になることもあります。

志のある頼もしい仲間との仕事にやりがいを感じる日々。(2026年1月、珠洲市)

「私は、自分自身が被災しなければ、この仕事に就くことはなかったかもしれない。被災者に近い支援ができるNGOの存在を知ることができて、その仕事に携わることができて本当に良かったと思っています。最近はようやく支援者の気持ちになって、被災者に寄り添うことができるようになってきました。志のある頼もしい仲間との仕事にやりがいを感じています。」

【自治体連携】北海道 道東6町村と災害発生時の支援協力協定を締結

釧路管内6町村と災害等緊急時の支援協力に関する協定を締結(2026年1月、釧路)

空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の運営母体である特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンは、2026年1月19日に釧路管内6町村(釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、鶴居村)と災害等緊急時の支援協力に関する協定を締結しました。

締結式は、千島海溝地震への備えとして2025年11月に完成したばかりの、厚岸町の津波避難ビル「防災交流センター」で執り行われました。
本協定は、千島海溝地震などの大規模災害時に被災地支援を迅速かつ強力に行うことを目的としています。2025年7月に先行して協定を結んだ白糠町を含め、今回の締結により、甚大な被害が想定される釧路管内の全7町村との連携体制が構築されたことになります。
(参考:北海道白糠町と災害発生時の支援協定を締結

北海道新聞(2026年1月19日)
釧路管内6町村と「ピースウィンズ・ジャパン」が災害支援協定

釧路新聞(2026年1月20日)
災害時に支援協力 釧路6町村と認定NPO協定【厚岸町】

読売新聞(2026年1月20日)
釧路7町村が震災時支援NPOと協定……千島海溝地震に備え

今後も自治体との連携をさらに深め、平時からの備えを強化するとともに、発災時にはいち早く現場へ駆けつけ、医療をはじめとするさまざまな支援を展開していきます。「一秒でも早く、一人でも多く」の命を救うため、私たちは活動を続けてまいります。

「ひとりでも多くの被災者に会いに行く」ーARROWS2026年1月の活動報告(2026年1月14日更新)

令和6年能登半島地震発生から、2年。
発災翌日から1日も途切れることなく支援を届け寄り添い続けるなか、私たちは多くの方から苦難や葛藤、そして、ふるさと奥能登の復興への、力強い思いを感じてきました。

そして、2025年11月に発生した、大分の大規模火災とスリランカの洪水被害。
大分市の避難所では、ユニクロを運営するファーストリテイリング様と、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”が共同で衣料支援を実施しました。

スリランカでは、街や村をのみ込んだ濁流が引き、復旧に向けて浸水した家の片づけや掃除が始まっている地区がある一方で、いまだ冠水状態が続きボートでしかアクセスできない村や、土砂災害で道路が寸断され、現在も孤立している集落があります。
現地映像と合わせてご覧ください。

奥能登に生きる|震災から2年、被災地の願い
珠洲市でラーメン屋さんを営む秋房さんご夫婦は、大阪府出身です。

珠洲市でラーメン屋さんを営む秋房さん(2025年12月、珠洲市)

「珠洲でお店やってみない?」
イタリアンレストランで働いていたご夫婦には"自分たちのお店を持ちたい"という将来の夢がありました。そんなとき、たまたま珠洲の方から声がかかり、ご夫婦は二つ返事で珠洲に移り住むことを決めました。

たくさんの人たちの協力を得て、移住から数カ月後の2023年4月に路面販売のお店をオープン。やがて、お客さんから「ラーメンが食べたいな」という声があったのをきっかけに、試行錯誤でラーメン作りを始め、2023年クリスマスイブ、ご夫婦の始めたラーメン屋さんは、大盛況で初日を終えました。

ご夫婦の始めたラーメン屋さん(2025年12月、珠洲市)

そして、あの地震の日を迎えます。
帰省中の大阪で目にしたテレビのニュースで、震災で変わり果てた珠洲の街並みを見たご夫婦は、不安と恐怖を感じました。

ご夫婦は実家のある大阪で避難生活を送りながら、夫婦で悩む日々が続きました。
そのなかでふと、ご夫婦のために協力してくれた珠洲の人々のことを思い出しました。

「地震に負けたくない。」
ご夫婦は珠洲に戻ることを決めました。
ご夫婦は震災をきっかけに、これからもずっと珠洲でお店を続けていこうと思うようになったそうです。ここにしかない豊かさを肌で感じられる、大好きな珠洲で。

ご夫婦のために協力してくれた珠洲の人々と(2025年12月、珠洲市)

▶記事全文はこちらから:奥能登に生きる|震災から2年、被災地の願い

【大分市大規模火災 緊急支援】ユニクロと連携し1,000点以上の冬物衣類を配布
大分市佐賀関で発生した大規模火災の避難所にて2025年11月30日、ユニクロを運営するファーストリテイリング様と、空飛ぶ捜索医療団が共同で衣料支援を実施しました。

ファーストリテイリング様と空飛ぶ捜索医療団(2025年11月、大分市佐賀関)

ファーストリテイリング様は長年にわたり災害支援に取り組まれており、今回の佐賀関での大規模火災でも、発災直後から避難所で緊急支援を進めていた私たちにご連絡をくださり、避難所での衣料配布が決定しました。

近隣店舗で働くユニクロの従業員の皆さまにも配布に参加いただき、火災発災直後から支援を続けてきた空飛ぶ捜索医療団のスタッフとともに、避難者一人ひとりにサイズを伺いながら、冬物衣料7点がセットになった紙袋を丁寧に手渡していきました。

被災地では、未だ厳しい状況が続いていますが、「思いがけなく、一足早いクリスマスプレゼントのよう」と喜ぶ声があがるなど、避難所に少しばかり温かい時間が流れました。

避難所に少しばかり温かい時間が流れた(2025年11月、大分市佐賀関)

今回の支援は、企業の皆さまとピースウィンズ、ピースウィンズが運営する空飛ぶ捜索医療団が協働することで、被災された方々に必要な物資を迅速に届けることができた取り組みです。
私たちは、今後も大規模災害の被災地にいち早く駆けつけ、緊急支援を行うとともに、企業の皆さまとの連携によって支援の幅を広げています。

▶記事全文はこちらから:【大分市大規模火災 緊急支援】ユニクロと連携し1,000点以上の冬物衣類を配布

【スリランカ 洪水被害 緊急支援】ひとつでも多くの集落に足を運び、ひとりでも多くの被災者に会いに行く
スリランカの被災地で活動する、ピースウィンズの国際人道支援のスタッフと空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”のメンバーで編成された緊急支援チーム。
復旧に向けて浸水した家の片づけや掃除が始まっている地区がある一方で、いまだ冠水状態が続きボートでしかアクセスできない村や、土砂災害で道路が寸断され、現在も孤立している集落があります。

復旧の進捗(しんちょく)の格差が日に日に大きくなっていくなか、ピースウィンズは関係各所と密に連絡をとり、どこで何が足りていないのか、何が必要なのか、可能な限り多くの被災したエリアに脚を運び、きめ細やかな支援活動を続けています。

もっとも多くの犠牲者が確認されているキャンディ(Kandy)やヌワラ・エリヤ(Nuwara Eliya)、バドゥーラ(Badulla)は、島の中部に位置する山岳地帯で、斜面に家が建てられた小さな集落が点在。今回の豪雨で大規模な土砂崩れがあちこちで発生し、なかには村がまるごと流されたという被害もあったエリアです。

このエリアへの支援が急務とされていますが、容易にアクセスできない状況が続いています。支援を難しくしているのが、依然として軟弱な地盤でふたたび土砂崩れが起きる危険性が高いこと。支援する側も慎重にならざるをえない状況で、被害状況がまだ十分に把握しきれていません。

それでも地元の支援団体や関係各所と密にコンタクトをとり、最大限の安全を確保しながら可能な限りアプローチし、必要な物資や支援を届ける方法を模索しています。

▶記事全文はこちら:【スリランカ 洪水被害 緊急支援】ひとつでも多くの集落に足を運び、ひとりでも多くの被災者に会いに行く

現地の様子を、ぜひ動画でもご覧ください。

【スリランカ 緊急支援】濁流に襲われた孤立集落へ支援を届ける

ひとつでも多くの脆弱(ぜいじゃく)な被災地に赴き、ひとりでも多くの被災者に会いに行く――その先々で物資とともに、笑顔を届ける支援を続けています。

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認定特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン

認定NPO法人ピースウィンズ ・ジャパンは、日本に本部を置き、国内外で紛争や災害、貧困など人為的な要因による人道危機や生活の危機にさらされた人々を支援する国際NGOです。大西健丞により1996年に設立され、世界各地に支援を届け続けています。
ピースウィンズが運営する、医療を軸とした災害緊急支援プロジェクト「空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"」は、国内外の災害被災地にいち早く駆けつけ、専門的な支援活動を行っています。
日本国内での社会課題の解決を目的とした活動にも力を入れており、地域活性化や子ども支援、犬や猫の殺処分ゼロを目指した動物の保護・譲渡活動などに取り組んでいます。

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