寄付受付開始日:2022/02/25
更新日:2024/08/08
2022年2月24日にウクライナで戦争が激化してから、1年が経過しました。多くの方が一瞬にしてそれまでの平穏な生活を奪われてしまう中、世界的で広がった支援の輪のもと、ウクライナおよび周辺国で戦争の影響を受けている方々に、ADRAのネットワーク全体で協力をしながら命をつなぐ人道支援に取り組んで来られたことを感謝いたします。
ウクライナでは今、約1,800万人の方が何らかの支援を必要としています。電気、ガス、水道などの社会インフラが破壊される中、史上最悪と言われた厳しい冬は何とか乗り越えることができましたが、住む場所、食べ物、着るもの、移動手段など、すべてが足りておらず、心身の健康を保つことが難しい状態が続いています。
1993年からウクライナで活動してきたADRAは、ウクライナ全土に広がる通称「ホットライン」を通じて、支援を必要とする一人ひとりに寄り添う活動を続けています。その分野は今や16セクターに広がっています。
中でも人々の命綱となっている食料支援の一部を紹介する動画がありますのでご覧ください。
今後も必要になると考えらえる支援は以下の通りです。
・水や食料、生活必需品の配付
・現金または必要物資と交換できるバウチャーの配付
・避難のための移動手段や燃料の提供
・発電機の提供
・避難所や仮の住居となるシェルター支援
・家屋の修繕
・心理ケア・メンタルサポート
・病院への支援
・障害のある方、高齢の方などへの特別な支援
・国外で避難生活を続けている方への語学習得や就労支援
・子どもたちへの支援
・教育の再開に向けた支援
1年以上がたった今も、多くの方がウクライナのことを心に留め、繰り返しご寄付を届けてくださっています。このことは、活動を続ける私たちの大きな力となっています。支援が必要ではなくなる日が1日でも早く来ることを願いながら、皆さまからのお支えのもと、今後も活動を続けてまいります。引き続き、皆さまの温かいご支援をお願いいたします。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
2024年8月現在、ウクライナでは各施設や民間人への爆撃が多発しています。いまだに人々の生活が脅かされ避難を余儀なくされる日々が続き、引き続き生きていくためのさまざまな支援が必要です。今後も一人ひとりに寄り添った支援を届けるため、寄付受付期間を延長いたします。(2024年8月8日更新)
■領収書の発行について
ADRA Japanは、2016年4月に東京都の認定を受けた「認定NPO法人」です。そのため、当団体へのご寄付は、税制上の優遇措置(寄付控除)の対象です。
1回3,000円以上のクレジットカードによるご寄付で、領収書の発行を希望して寄付された方に、領収書を発行いたします。
※手続き完了後の発行や再発行はできません。
※当団体からの領収書発行時期:毎年1月下旬~2月頃に、前年1年分(1月1日~12月31日)の領収書を発行いたします。
※領収書の日付は、お客様の寄付手続き日ではなく、当団体への入金が完了した日(原則として寄付手続き日の翌月末日頃)です。
※Vポイントによるご寄付の場合は、領収書発行の対象外ですのでご留意ください。
詳しくはヘルプページをご参照ください。
領収書に関するお問い合わせは、下記までご連絡ください。
<お問い合わせ先>
特定非営利活動法人ADRA Japan・Yahoo!ネット募金係
電話:03-5410-0045
メールアドレス:support_adra@adrajpn.org
こちらのプロジェクトへのご寄付は、ウクライナで支援を必要としている方々の支援活動のために大切に使わせていただきます。
・現地調査、支援調整、情報発信(通信費、交通費、人件費など)
・水、食料、衣類や生活必需品、衛生用品、防寒用具などの購入、輸送、配付など
・避難されている方や影響を受けている方が生活に必要なものを購入できる現金またはバウチャーの配付
・避難場所の確保、ホームステイ先の調整など
・移動支援(移動手段や燃料の提供など)
・ボランティアの調整
・シェルターや避難所の支援
・そのほか現地のニーズに応じた支援
・国外に逃れ難民となった方の支援
※状況によって支援する内容や活動が変更・追加となる場合があります。
なお、寄付金募集や寄付金管理、領収書発行・発送、活動報告などのため、いただいたご寄付の最大20%を管理運営費として大切に活用させていただきます。
"#ウクライナ緊急支援"
"#世界難民の日"
更新日:2024/08/08
いつもあたたかいご支援をありがとうございます。
先月、 #ADRAひまわりプロジェクト の「ADRA畑」のひまわりを見に行ってきました!
ADRAひまわりプロジェクトは、戦争が続くウクライナの方々に「支援」と「希望」の両方を届けたいと企画したものです。期間中、ご寄付いただいた方に10~20粒のひまわりの種をお届けし、希望のひまわりを咲かせましょうと呼びかけました。また、ご自宅で育てる環境のない方の分は、宮城県山元町のご協力のもとADRA畑で育てました。
ADRA畑があるのは山元町の沿岸部。東日本大震災で最大12メートルの津波に襲われた地です。人口の約4%もの命が失われ、4,440棟の家屋が被災。道路や駅、畑など、あらゆるものが破壊され、流されました。
ADRAは当時から現在まで山元町の皆さまと関わり続けており、活動を担当しているスタッフにとっては第2の故郷にもなっています。
山元町では津波の被害を受けた土地の力を取り戻すために、毎年ひまわりの作付けが行われています。ひまわりは開花後、肥料として土地にすき込まれるので、ひまわりが咲いた分、大地が農地としてよみがえっていくのです。まさに希望の畑と言えます。
山元町ではADRAの種がまかれた辺りを「ADRA畑」とし、看板を立て、成長を見守ってくださり感謝しています。
ひまわり畑にはたくさんの観光客や親子連れが訪れ、花を摘んだり、写真を撮ったりしていました。花粉を集めるハチもたくさん飛んでいて、避難先のスロバキアでひまわりの絵を描いてくれたダイアナちゃんのことを思い出しました。
震災で被災した山元町も、人々の希望がつながり続けることで、平穏な生活を取り戻しつつあります。山元町が立ち直ったように、今戦争で傷ついているウクライナもきっと復興する日が来ます。この地でひまわり畑に立つことで、その希望を感じることができました。
山元町にADRA畑のひまわりをお願いできたご縁をこれからも大切にし、ウクライナの方々にも支援と希望を届け続けてまいります。
温かいご支援をありがとうございます。
ADRAは2024年7月22日、23日とウクライナでの人道支援として、ザポリージャ地域の方々に食品と衛生用品のキットを配布しました。地元自治体の要望により、基本キット1,137個、家族用73個、女性用248個を配付しました。
基本キットは独身、あるいは2人家族のための食品と衛生用品、家族用は3名以上で構成されるファミリー対象、そして女性用は受益者の要望に応え衛生用品を用意しました。
2024年7月24日には、ヘルソン地域の方に473の基本キット、97の家族向け、そして277の女性向けキットを渡しました。
この活動の目的は、市場へのアクセスが制限されている地域への支援です。これら地域の住民は、依然として止まらない砲撃による危険な状況にあります。最低限、人々の暮らしを守るため食という基本的なニーズを満たす支援を必要としています。
ADRAは、「1人ひとりに寄り添う支援」をモットーに活動を続けています。ウクライナの方々が、一日も早く平穏な暮らしを取り戻すことを願っています。引き続き皆様の温かいご支援をお願いいたします。
2024年7月21日、戦争によって両親を失った子どもや、心に深い傷をうけた児童たちおよそ110人が、ADRAとウクライナのスポーツクラブ「クラン」が催したイベントに参加しました。場所はイルピンです。
このイベントは、子どもたちを支援する「児童法」に沿って開催されました。
ウクライナの首都キーウから北西に約20キロに位置するイルピンの町は、住民の命はもとより、多くの家屋、そしてインフラが破壊されました。
また、これらの地域でもADRAは、被災者に向けて食料支援と物流問題の改善もサポートしています。つらい思いをしている子どもたちが少しでも笑顔になることを、今この瞬間も考えています。
リハビリテーションプログラムを通して、子どもたちは自身の才能を発揮し、感情を表現することを学び始めました。少しずつですが、子どもたちは自己表現の方法を学んでいます。私たちと一緒に活動する心理学者も、子供たちがストレスを克服して健康的な生活に戻り、明るい将来を切り拓くことを心から祈っています。
ゲーム、音楽、英語学習、アートセラピーなどが、それらの手助けになると信じています。
ADRAはこれからも、現地のニーズに基づき1人ひとりに寄り添う支援を続けてまいります。引き続き皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。
ウクライナで人道危機が続いています。
2024年7月8日に大規模な空爆があり、多数の死傷者が出ています。
同国内に拠点を持つADRAは、すぐさま現場に駆け付け、人々に寄り添う支援にあたっています。
このような惨事が一刻も早く終わり、平和が戻ることを強く望みます。
<動画より>
レポーター:
大規模な空爆があり、ウクライナの首都キーウにある小児病院が破壊され、親子が行き場を失っています。
レポーター(フィリップ):
こんにちは、ADRAのフィリップです。
空爆のあったエリアに来ています。
複数の心理ケアの専門家と共に水とテントを持って駆け付けました。
水も大量に持ってきました。
かなり暑いので、水を必要とする人がたくさんいます。
テントでは、避難所と携帯電話の充電ステーションを開設しています。
私たちがいますから安心してください。
レポーター:
ボランティアの皆さんが片付けを進めています。
いつも温かいご支援をありがとうございます。
ADRAは、戦争が続くウクライナで人道支援を続けています。今回は食料支援の様子を動画にまとめましたのでぜひご覧ください。
スロバキアのトレンチンから食料や生活用品を積んだトラックが到着し、ボランティアの皆さんが荷下ろしをしていると、空襲警報が鳴りはじめました。
ボランティアの皆さんは作業を急ぎます。大勢での作業は目立つと標的になってしまうので、気をつけなければなりません。
物資を取りに来られない人々のもとへは、注意をはらいながら少人数で移動し、箱詰めされた食料を一つ一つ手渡しします。
受け取った女性は涙ながらに話してくれました。
「昨日も夜中に3回も爆発があり目が覚めました。つらくて……本当につらいです。何でこんなことになってしまったのでしょう。私たちは貧しかったですが、それでも生きてきました。今は生きるのがつらいです。ありがとう。ありがとう。心から感謝します。」
ADRAはこれまでに60,000箱以上の人道支援物資をスロバキアからウクライナへ届けてきました。活動を支えてくださる皆さまに、心より感謝を申し上げます。
2024年5月28日、ウクライナのリヴィウで、ADRAは心理学者や教師と共に、ウクライナの方々の心理状態を回復することを目的としたイベントを催しました。現在、同国において最も問題となっている点を改善しようという試みです。
このイベントには24家族(合計約60人)が参加しました。ほとんどがロシアとの戦争により家を追われ、避難民となった人々です。
ある親子は、イベント内に設けられた3つのブースを訪れました。最初の場所では、スポーツゲームやリレーなどが行われ、2番目の場所では、折り紙などの工作に取り組み、3番目の場所では、物語療法と呼ばれる現代ウクライナ語のクラスが開催されました。
ADRAウクライナの一員である心理学者、カテリーナ・ジンチャク氏も参加し、心理療法の要素を巧みに織り込みながら物語を紡ぎました。ADRAは、出席者がウクライナ語を学ぶだけでなく、治療効果のある「夢に関するおとぎ話」を生み出せるよう、働きかけました。
2024年6月5日にもADRAは、心理学者のユリア・ザルツカヤ氏を招き、「感情の対処法」をテーマに研修を開催しています。これには、戦争により心に傷を抱えた4名が出席しました。その顔ぶれは、戦火から逃れた女性、若い俳優、キックボクシングの世界チャンピオン、軍人だった夫をこの戦争で亡くし、10代の少年を女手一つで育てている方でした。
出席者は、自分の感情と他の人々の経験をより良く理解することを学び、生きた心の動きの原則も理解しました。また、人とのコミュニケーションを改善させるための「ボディ・ノッド・モデル」を取り入れ、精神と身体の関連性をベースにした演習も体験しました。この研修により、参加した4人は体と心のバランスを調和させることができたとの感想を、後日ビデオで共有しています。
戦争によって負った心の傷が、簡単に治癒しないことは百も承知です。それでも、私たちは一人ひとりに寄り添う支援活動を続けて参ります。今後も、皆様の温かいご支援をどうかよろしくお願い申し上げます。
温かいご支援をありがとうございます。
今回は、ウクライナの支援を担当するスタッフから赴任した際の報告をご紹介いたします。
スロバキアの首都ブラチスラバから車で北北東へ2時間ほどの場所にトレンチン市がある。スロバキアに到着してから3日目の2024年5月15日の午後、パートナーであるADRA Slovakia(スロバキア支部)事務局長、自らが運転する車に乗り、トレンチン市にある活動地を訪問した。
スロバキア支部は、2022年3月にウクライナ危機が始まって以来、戦火に追われて着の身着のままで逃げてきたウクライナの人々を支えてきた。ADRA Japanは、2023年3月より、ジャパン・プラットフォームの助成金を基に、隣国ウクライナからの避難民支援活動を同支部と共に当地で開始した。
私がスロバキアに駐在した2022年12月~2024年1月の間、トレンチン市では大きな倉庫が活動の拠点となっていた。ウクライナに送る食料・衛生用品の人道支援物資を危機開始直後から累計72,280箱送り出した場所である。ウクライナへの支援物資を送るパッキング活動は、自らも避難してきたウクライナ人のボランティアによって支えられた。
そこでは、「祖国のために何か自分にもできることをしたい!」という気持ちを共有する人々のコミュニティが築かれていった。活動の中心になったのが、スロバキア支部のスタッフで調整役のアドリアナと、その夫であり、活動を調達の面から支えたルドである。二人は、倉庫での活動に訪れる人々を温かく迎え入れ、笑顔を忘れてしまったウクライナ人たちの心を癒やしてきた。
しかし、戦争が長期化する中、日本でもスロバキアでも、避難民支援の予算は多くの場所で削られていた。支援活動自体も、緊急対応から、長期化するスロバキアでの生活をどのように築き上げていくのか、という支援に変わってきた。
トレンチン市でのウクライナ避難民を取り巻く支援活動も例外ではない。危機直後から起点となったトレンチン市の倉庫は2024年1月に閉鎖することが決まった。祖国のために行動でき、故郷から遠く離れつつも「家族」と思える人々とのコミュニティであった場所の閉鎖に、ウクライナ避難民の方々からは不安の声が上がった。
私自身、プロジェクト・マネージャーとして、「支援物資のパッキング」活動を通してつながり、築かれてきた場所が、今後どのように彼らの心のよりどころとなり、生活を支えていけるのか、一種の不安と疑念があった。
現在、倉庫は閉鎖されたものの、スロバキア支部が日本の寄付金をもとに、同市内の新たな拠点でウクライナ避難民のためのヘルプセンターを運営している。2024年5月、同市では約2,000人のウクライナ避難民の方々が生活している。長袖では少し汗ばむほどの気持ちの良い初夏の快晴の下、今年(2024年)の2月に場所を移転し、新たにオープンしたこのヘルプセンターに向かった。
トレンチン市に到着したのは16時過ぎ。仕事終わりのウクライナ避難民の方たちがスロバキア語講座に来ると聞いていた。到着してすぐに、アドリアナが両手を広げて迎え入れてくれた。スロバキア語が話せない私と英語が話せない彼女の間では通訳をしてくれるスタッフがいないと意思疎通ができない。しかし、彼女の力強いハグと両頬へのあいさつのキスで、1年以上プロジェクト・マネージャーとして仕事をしていたこの国に帰ってきた実感が湧いた。
夏に向けて日が長くなりつつある5月。16時でもまだまだ明るく、センターの窓からは暖かな陽が差し込み、子ども用の活動スペースに置かれたカラフルな家具とおもちゃにぬくもりを感じた。
センターの大人スロバキア語講座は、地元の高校教師のボランティアであるシモナが中級と上級を、ウクライナ避難民ボランティアのナタリアが初級クラスを担当している。ナタリアはハルキウ州出身で、危機発生直後、娘と一緒にポーランドを経由して、このトレンチン市に避難していた。この日の授業が始まる前、ルド、アドリアナ、ナタリアが通訳を介して、私に質問をする隙を与えない勢いで、センター活動の話をしていた。アドリアナは、次のように語った。
「ここでの活動には、前の倉庫にはいなかった人たちが新しく来始めているの。トレンチン市では工場の仕事など、スロバキア語をほとんど使わない仕事をしているウクライナ人も多い。だけど、2年がたった今、人々の間にもう祖国に帰るのを諦めないといけないかもしれない……という想いがどんどん強くなっている。仕事ではスロバキア語を使う必要がなくても、ここで人生を続けていくために、今からでもスロバキア語を始めようという人が増えているのよ」。
しばらくすると、ナタリアに「睦美、まだ私に質問はあるかしら? どうしてもスロバキア語講座に行きたいの。」と言われた。その後彼女が抜けていった講座を見に行くと、自信に満ち溢れた(みちあふれた)様子で、ウクライナ語を用いてスロバキア語を教えるナタリアの姿があった。
実は、この日の前日である2024年5月14日も、彼女の故郷ハルキウが、またもロシア軍から激しい攻撃を受けていた。だが、そんなことは感じさせない笑顔とエネルギーで、彼女はスロバキア語を学び始めた生徒たちを指しながら、授業を進めていた。
トレンチン市からの帰り道、事務局長がナタリアの話をしてくれた。
「今年(2024年)の3月に別の事業のモニタリングでウクライナに行った時、ナタリアも一緒に来たんだ、本人の希望でね。車でチェルニヒウに向かっていたんだけどね。道中、彼女の目から涙が溢れ(あふれ)出してね。止まらなくなってしまったんだ。彼女は『ごめんなさい……だけど涙が止まらないの』と言っていた。昨日もハルキウで激しい攻撃があったばかりだろう……」
とため息をついた。
この日、上級・中級のスロバキア語講座も見学をした。私も今回の出張で初めて目にするシモナが、教材となるワークシートを配って、スロバキア語でスロバキア語の授業を行っていた。言語交換程度の活動をイメージしていた私は、予想以上に本格的に教える姿に驚き、おもわずアドリアナに、給与を払っているのかと聞いた。
アドリアナは、「彼女は高校の先生だからね。でも私たちとは1時間の授業で15EURという価格で合意をしてくれたの。こんな条件で授業をやってくれる先生を見つけるのに本当に苦労したわ。でも私たちが授業料を払うのではなく、生徒たちが自ら払っているのよ。大体1クラス5人の生徒がいるから、1人当たり3EURを集めているの。」と説明してくれた。
スロバキア国内のウクライナ避難民の方々を取り巻く支援活動の形が変わってきたのだと感じた。ウクライナの戦争が長期化しているとはいえ、支援を与え続けることはできない。どこかで方向転換していかなければいけない。それがいかなる方向にどういった形で変わっていくのかまだ確信がなかった私にとって、今回の訪問で見たトレンチン市の活動の形は、小さな希望の光を与えてくれた。
このトレンチンのヘルプセンターでは、子どもたちも変化している。15歳のソニャもその一人だ。彼女は、倉庫を拠点に行われていた活動から参加していた。もともとは、母親がウクライナに送る人道支援物資のパッキング作業にボランティアとして加わった。その母親が、ソニャも連れてきたのだ。アドリアナは、ソニャと初めて会った時のことをよく覚えていた。
「倉庫に初めてソニャが来た時、私は『Ahoj!(アホイ)(スロバキア語で「やあ!」の意味)』とあいさつをしたの。彼女は何も返さなかった。ただ下を向いて自分の足元を見つめているだけだった。彼女のボディランゲージのすべてが『ここでの活動、来ている人たちになんて何の興味もない』ということを物語っていたわ。(中略)ここに来ている10代の子どもたちはみんな、センターで出会ってお互いのことを知るようになったの。
そこで友達の輪が作られていった。ソニャもそんな中で変わっていった。倉庫で活動がある日に、朝7時には母親の枕元にやってきて『ママ! 早く倉庫に行かなきゃ!』と言うようになるまで変わっていったの」
祖国から離れ、言葉が通じない国で生活をすることを余儀なくされたウクライナの方々は、このトレンチン市のセンターで出会う人々に温かく迎え入れられて救われてきた。これまでに同センターでは、2つの助成金申請を行っている。申請を得意としてこなかったトレンチン市のスタッフたちが、どうにかスロバキアで確保できる方法でウクライナ避難民の居場所を守り、彼らを支え続けている。
この日センターの入口をまたいだ時には疑念が晴れていなかった私は、曇り空が晴れたようなすっきりとした気持ちでトレンチン市から帰路に就いた。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。このような支援に取り組めるのも皆様からのご寄付があってこそです。心から感謝申し上げます。
引き続き、温かいご支援をよろしくお願いいたします。
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このプロジェクトでは1回3,000円以上の寄付から領収書の発行が可能です。
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