寄付受付開始日:2022/02/25
更新日:2025/01/23
2022年2月24日にウクライナで戦争が激化してから、1年が経過しました。多くの方が一瞬にしてそれまでの平穏な生活を奪われてしまう中、世界的で広がった支援の輪のもと、ウクライナおよび周辺国で戦争の影響を受けている方々に、ADRAのネットワーク全体で協力をしながら命をつなぐ人道支援に取り組んで来られたことを感謝いたします。
ウクライナでは今、約1,800万人の方が何らかの支援を必要としています。電気、ガス、水道などの社会インフラが破壊される中、史上最悪と言われた厳しい冬は何とか乗り越えることができましたが、住む場所、食べ物、着るもの、移動手段など、すべてが足りておらず、心身の健康を保つことが難しい状態が続いています。
1993年からウクライナで活動してきたADRAは、ウクライナ全土に広がる通称「ホットライン」を通じて、支援を必要とする一人ひとりに寄り添う活動を続けています。その分野は今や16セクターに広がっています。
中でも人々の命綱となっている食料支援の一部を紹介する動画がありますのでご覧ください。
今後も必要になると考えらえる支援は以下の通りです。
・水や食料、生活必需品の配付
・現金または必要物資と交換できるバウチャーの配付
・避難のための移動手段や燃料の提供
・発電機の提供
・避難所や仮の住居となるシェルター支援
・家屋の修繕
・心理ケア・メンタルサポート
・病院への支援
・障害のある方、高齢の方などへの特別な支援
・国外で避難生活を続けている方への語学習得や就労支援
・子どもたちへの支援
・教育の再開に向けた支援
1年以上がたった今も、多くの方がウクライナのことを心に留め、繰り返しご寄付を届けてくださっています。このことは、活動を続ける私たちの大きな力となっています。支援が必要ではなくなる日が1日でも早く来ることを願いながら、皆さまからのお支えのもと、今後も活動を続けてまいります。引き続き、皆さまの温かいご支援をお願いいたします。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
人道危機の深刻化から3年。ウクライナでは前線地域を中心に空爆や砲撃が激化し、病院や住宅などの被害も多発しています。人々の生活が脅かされ避難を余儀なくされる日々が続く中、生きていくためのさまざまな支援が必要です。今後も一人ひとりに寄り添った支援を届けるため、寄付受付期間を延長いたします。(2025年1月23日更新)
■領収書の発行について
ADRA Japanは、2016年4月に東京都の認定を受けた「認定NPO法人」です。そのため、当団体へのご寄付は、税制上の優遇措置(寄付控除)の対象です。
1回3,000円以上のクレジットカードによるご寄付で、領収書の発行を希望して寄付された方に、領収書を発行いたします。
※手続き完了後の発行や再発行はできません。
※当団体からの領収書発行時期:毎年1月下旬~2月頃に、前年1年分(1月1日~12月31日)の領収書を発行いたします。
※領収書の日付は、お客様の寄付手続き日ではなく、当団体への入金が完了した日(原則として寄付手続き日の翌月末日頃)です。
※Vポイントによるご寄付の場合は、領収書発行の対象外ですのでご留意ください。
詳しくはヘルプページをご参照ください。
領収書に関するお問い合わせは、下記までご連絡ください。
<お問い合わせ先>
特定非営利活動法人ADRA Japan・Yahoo!ネット募金係
電話:03-5410-0045
メールアドレス:support_adra@adrajpn.org
こちらのプロジェクトへのご寄付は、ウクライナで支援を必要としている方々の支援活動のために大切に使わせていただきます。
・現地調査、支援調整、情報発信(通信費、交通費、人件費など)
・水、食料、衣類や生活必需品、衛生用品、防寒用具などの購入、輸送、配付など
・避難されている方や影響を受けている方が生活に必要なものを購入できる現金またはバウチャーの配付
・避難場所の確保、ホームステイ先の調整など
・移動支援(移動手段や燃料の提供など)
・ボランティアの調整
・シェルターや避難所の支援
・そのほか現地のニーズに応じた支援
・国外に逃れ難民となった方の支援
※状況によって支援する内容や活動が変更・追加となる場合があります。
なお、寄付金募集や寄付金管理、領収書発行・発送、活動報告などのため、いただいたご寄付の最大20%を管理運営費として大切に活用させていただきます。
"#ウクライナ緊急支援"
"#世界難民の日"
更新日:2025/01/23
温かいご支援をいただきありがとうございます。
7日間のスロバキア出張記、いよいよ最終回となりました。
こんにちは、ADRAの永井温子です。
今回の出張を振り返りながら、今後の支援について考えたことをお伝えしたいと思います。
スロバキアでの1週間を通じて、私の心の中に大きな変化がありました。これまでは、ウクライナ国内で被害を受けた地域に必要な支援をどう届けるかに意識が集中したのです。しかし今回、避難を余儀なくされた人々が抱える心の痛みにも、より深く寄り添う必要があると感じました。
安心して帰れない現実を突きつけられることや、自分だけ安全な場所にいることへの罪悪感。その困難や苦しみをどう受け止め、支えることができるか。スロバキアでの人々との出会いは、この問いを私に投げかけていました。
また、スロバキアの建物に備わる暖房システムの温かさを肌で感じるたびに、ウクライナの現状を思わずにはいられませんでした。外の厳しい寒さの中でも、建物の中は快適で、「朝寒くて布団から出られない」という日が一日もなかったほど。けれども、同様の暖房システムが主流なウクライナでは、その暖房システムが破壊され、窓やドアが壊れた建物で多くの人が寒さと戦っています。
現在、ウクライナで進められている燃料配付が、1日でも早く、そして一人でも多くの人に届くことを願っています。そのためには、私たち一人ひとりの支えが欠かせません。
戦争の影響に苦しむ人々が、少しでも安心して過ごせる日々を取り戻せるように。このスロバキア出張記シリーズを通じて感じたことや、共感していただけたことがあれば、ぜひ行動につなげていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました! 助けを必要とする人は、ウクライナだけではないのですが、この7日間ブログを通じて、皆さまと共にウクライナの方々に思いを寄せられましたことを感謝いたします。
引き続き温かいご支援をよろしくお願いします。
温かいご支援をありがとうございます。
7日間のスロバキア出張記、第6日目をお届けします。
こんにちは、ADRAの永井温子です。今回は、避難生活の中でも家族の絆を強く感じさせてくれた、二人の男の子とお父さんのことをご紹介させてください。
サンタに扮(ふん)したスタッフが、子どもたち一人ひとりの名前を呼び、クリスマスプレゼントを手渡す様子を、部屋の隅のソファに座って静かに見ている男の子がいました。サンタさんに呼ばれている子どもたちよりも年齢が上のようです。少しさみしそうに見えた表情に、もしかしたらこんな風に「自分は対象ではない」という状況には慣れているのかもしれないなと想像しながら、様子を伺っていました。
すると、クリスマスプレゼントを受け取った小さな男の子が、彼の隣に座り、短い言葉を交わした後に、青いリボンをほどいてプレゼントを開け始めました。兄弟のようです。
表情をころころ変えながら、袋の中に入っているぬいぐるみやお菓子を一つひとつ手に取る弟の様子を、お兄ちゃんがそっと見守っています。弟が、折り紙のギフト「パタパタはと」を手に取ったとき、「それ、日本の子どもたちが作ったものだよ」と試しに英語で話しかけてみました。もし通じなかったら翻訳アプリを使おうと思ったのですが、彼は英語がわかるようです。
「これ、なんていうんでしたっけ?」と聞く彼に「ORIGAMI(折り紙)だよ」と伝えると、あぁそうだった! と、お兄ちゃんの顔がぱっと明るくなりました。折り紙が好きで、自分でも折っていたことがあるそうです。
新しい折り紙を出して、「これはあなたの分ね」とひとつ折り、しっぽを引っ張ってパタパタと動かして見せました。期待した通りの反応で、目を大きく開き、笑顔になります。弟くんのとおんなじ、これも動くからねと伝えると、お兄ちゃんが訳してくれました。
彼は14歳、弟は7歳、ちょうど私の次男、三男と同じ年齢です。英語が上手だねと声をかけると、「ウクライナ語、ロシア語、英語、スロバキア語、4つできるようになりました」と少し照れたように言います。
弟くんに訳をそっと伝えるとき、弟もじっと耳を傾けていて、普段から2人で助け合いながら過ごしている様子が伺えました。
帰り支度を始めた二人のそばに、一人の男性が近づいてきます。センターに到着されたときに、2~3言葉を交わした方でした。仕事終わりに来たことや、同じ年齢の息子たちがいることで意気投合した会話がよみがえります。
帰り支度を見守っていると、この出張の中で、一番の幸せを感じた言葉が発せられました。
「妻が家で、食事を作って待っているので」
学校帰りに、子どもたちはセンターで過ごす。仕事を終えた父親が迎えに来て、一足先に帰っている母親が食事の支度をする。それは、私も知っている日常の姿です。
職や住まいの選択肢が少なく、故郷が戦争の中にある日々は、肉体的にも精神的にも苦しいものに違いありません。その中でも、家族と一緒に過ごし、食卓を囲める時間があるということが、せめてもの救いであり支えだと感じます。この時が守られることを心から願っています。
次回は、この出張記の最後となります。ウクライナの隣国で過ごした1週間を振り返り、私たちの活動にどんな意味があったか、また、これからどんな役割を果たせるか、私なりに考えたことをまとめたいと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました!
また次回お会いしましょう~!
温かいご支援をありがとうございます。
7日間のスロバキア出張記、第5日目をお届けします。
こんにちは、ADRAの永井温子です。この日、ケジュマロクの避難民センターで、一人の男性から受けた問いかけが、私の心に深く残っています。
センターに集まっていた一部の方と一つのテーブルに座り、日本のことやADRAの活動について説明していたときです。ADRAがウクライナ国内にも食料や暖房のための燃料を届けていることを紹介すると、目の前の男性の表情が変わりました。そして、不安げな、なにか恐ろしいものを見たような目で、次の質問を発しました。
通訳をしてくれるスタッフの言葉を待たなければ、質問の内容はわかりません。けれども、男性の言葉に、一緒に座っている皆さんの空気が張り詰めたのを感じました。
彼の質問の内容はこうでした。
「戦争は怖いだろう。その怖さを、あなたはどうやって乗り越えているんだ?」
私は、質問の意味を理解したことを伝えるために、ゆっくりうなずきました。うなずきながら、答えとして言うべき言葉を探します。
取り繕うことはできない、まっすぐに答えようと決めて、感情を一つひとつ口にしました。
「私自身は、戦争を体験したことはありません。ウクライナにも行ったことがありません。だからその怖さは、知らないんです。ただ、その恐怖の中にいる人のためにできることがあればしたい、という気持ちで今日まで活動してきました」
テーブルにいる皆さんの真剣な視線を感じます。まるで「帰れる一筋の希望」を私の言葉に探しているようでした。話し終わったとき、横にいたおばあさんの目から、静かに涙がこぼれました。私の答えは、彼らが期待したものではなかったのかもしれません。それでも、少し顔を明るくして、彼ら自身もわずかでも寄付をしたり、物資を送ったりしていることを話してくれました。
ほどなく始まったウクライナ式のビンゴ大会では、この男性が「ビンゴマスター」として会場を仕切っていました。数字が書かれた駒を袋から取り出し、「何番!」と力強い声で番号を読み上げます。戦争の怖さを口にした彼と同じ人だとは思えないほど、その場を明るく盛り上げていました。そして帰る頃には、全員が笑顔でした。
たとえ短い時間でも、あのビンゴ大会が現実の影を少しの間忘れさせ、楽しく笑いあえる瞬間を生み出していたことに、言葉にできないほどの価値を感じました。
次回のブログでは、二人の男の子とお父さんが教えてくれた、ある家族の姿をお伝えします。
またお読みいただけたら嬉しいです。
温かいご支援をいただきありがとうございます。
7日間のスロバキア出張記、第4日目をお届けします。
こんばんは、ADRAの永井温子です。この日は電車で5時間かけて、別の避難民センターがあるケジュマロクに向かいました。
電車の通路を挟んだ隣の席で、同僚が、ケジュマロクのセンターの運営を支えてきたウクライナ人スタッフの話をしているのが耳に入ってきました。彼女は、最近、ウクライナに帰ることになったそうです。
「もともと彼女は婚約したばかりのフィアンセと避難してくるつもりだったんですよ。でも、婚約したばかりの彼と避難することを決めてすぐに、成人男性がウクライナから出国できなくなってしまって。それで彼女は、結局ひとりで来たんです。だから、気持ちはずっと帰りたい。それしかなくて……」
そう同僚が話すのを聞くうちに、一番一緒にいたい人と離れ離れになってしまうつらさや、彼が残る町が何度も繰り返し砲撃にあっている事実の重さに感情が揺さぶられ、鼻の奥がツンとしました。泣いたらだめだと思えば思うほど涙を抑えられなくなり、同僚に「今だけ許して」と、私はタオルに顔を埋めました。
ケジュマロクの避難民センターは、笑顔と温かさであふれていました。この日は特に、セント・ニコラス・デーのイベントが行われ、サンタクロースに扮(ふん)したスタッフと子どもたちの盛り上がる声が響き、私たちも日本の文化紹介をして、皆さんに楽しんでもらうことができました。
イベントが終わり、センターが少し静かになった頃のことです。バックヤードのソファに座るスタッフが、スマートフォン越しに誰かと話しているところに出くわしました。
画面を指さし、ウクライナにいる夫だと言います。すでに暗くなっている外で、細かい雪が降る中、毛のついたオーバーを羽織り、私にも手を振ってくれました。
「彼は軍隊にいるの。今日は休みなんだけど、もう毎日毎日心配で!」
電話を切ったあと、彼女はそう明るく振る舞っていましたが、胸中は不安でいっぱいに違いありません。
遠くにいる家族を思う気持ち。
私自身、この1週間は家族と離れて過ごしましたが、連絡は「飛行機に乗るよ」「着いたよ」などの短いチャットだけ。帰国前日の朝、子どもたちに「明日の夜に帰るよ」と伝えたビデオ通話が唯一の会話でした。同じように家族と離れている状況でも、命の心配をしなくてすむことの価値に、正直私は気が付いていませんでした。
彼女が安心できる日が、一日も早く来ることを願ってやみません。
次回のブログでは、このケジュマロクのセンターで出会った男性からの問いと、ある家族をご紹介したいと思います。
またお読みいただけると嬉しいです。
温かいご支援をありがとうございます。
7日間のスロバキア出張記、第3日目をお届けします。
みなさんこんにちは、ADRAの永井温子です。この日は、ブラチスラバから電車で約1時間の場所にあるトレンチンという町を訪れました。
トレンチンでは以前から、ウクライナ国内に送る物資の箱詰めなど、ウクライナから避難されている方と一緒にしている場所で、この日も、子どもたちのためのクリスマスギフトのパッキングを予定していました。
日本の皆さんに折っていただいた折り紙の「パタパタはと」も、個包装を終え、準備万端です。
パッキング作業が始まるのは、学校などが終わってからの夕方16時。15時を過ぎた頃からだんだんと人が集まり始め、時計が16時をまわるころには、部屋にあふれそうなほどの方が、ボランティアとして集まってくれました。
小学生や、10代~20代の学生も多く、集まってくれた大人の中には、作業に入らず見守っている方もいます。一緒にやりませんかと声をかけると、「子どもたちがうれしそうにしているから、やらせてあげたいの」というお返事でした。
流れ作業の列に並びながら子ども同士じゃれあう様子や、ギフトバックに入れるプレゼントの感触を楽しむ様子を見ているうちに、結局わたしも、ひとつもパックしないまま、200個のパッキングが終わりました。
複数の参加者の方とお話をすることができたのですが、今回は二十歳のバレリー君の話をご紹介させてください。
「自分はドニプロから避難してきた。6年前にギターに出会った自分のために、父が奮発して新品を買ってくれたんだ。僕は中古でいいって言ったんだけど。そのギターをもって最初はトルコに避難して、ギターを教わりたい生徒を探して生活をした。スロバキアに移動してきたのは、友達に会いたくなったから。昼間は建設現場で働いて、夜はお店でギターを弾いたり、生徒に教えたりしている。将来がどうなるか、ただ不安だったこともあるけれど、今は楽しいよ。自分で生きていけているから。
ここへきて、10代の子たちと接すると、目標を失ってしまっていると感じる。急に避難してきて、何をどうしたらいいかわからなくなるのは当然だよね。だからこのセンターで、こうやって誰かのために集まって作業できることは、彼らのためになっているんだ。自分も誰かの役に立てるって思えることはとても大切なことだから。このセンターでは、彼らのことを導いていける。だからものすごく感謝している。」
背の高い彼は、私と話がしやすいように、ずっと背中をかがめていてくれました。深い思いやりと洞察は、きっと苦しい生活の中で新品のギターを買い与えたお父様ゆずりです。このセンターに集まっているティーンエージャーたちにとっても、彼の存在はとても心強いだろうと感じました。
さて明日は、また場所が変わります。今度は電車で片道5時間いったケジュマロクでのお話です。この出張中は、毎日たくさんの感情が動き、消化しきれない思いでしたが、このようにつづる中で、一つひとつを整理できています。
明日のブログでは、ケジュマロクのセンターの運営を支えてきたウクライナ人スタッフの話を紹介します。
ぜひ明日もお付き合いいただけたらうれしいです。それでは!
温かいご支援をいただきありがとうございます。
7日間のスロバキア出張記、第2日目をお届けします。
こんにちは、ADRAの永井温子です。今回は、スロバキアの首都ブラチスラバのショッピングモールの一角で運営されている避難民センターを訪れた際のお話です。
モールの広場には、高さ5~6メートルはあるかと思われるクリスマスツリーが飾られ、ワゴンには、クリスマス時期だけの特別な蜜蠟キャンドルが所せましと並べられていました。
避難民センターは、エレベーターを上がって少し進んだ2階にありました。センター開設から、もう7回も引っ越しをしていて、最初の頃から比べると狭くなり、訪れる人の数も減ったと話されていましたが、この日、私たちがいる間は人の往来がひっきりなしでした。
子どもの冬用のズボンを選んでいく女性や、料理器具を手に取る方もいます。赤いニット帽をかぶった男の子は、帽子と同じ赤い色の消防自動車のおもちゃを抱え、今すぐにでも遊びだしたそうでした。
その和やかな雰囲気の中、私はウクライナ人ボランティアさんの目から、突然涙がこぼれるのを目にします。隣で一緒に会話をしていた、言語のわかる同僚の言葉を待つと、彼女は言葉を選びながら、女性の故郷が砲撃で壊滅的な被害を受けたことを教えてくれました。「誰かと過ごしている間は気がまぎれる」と笑って続けた女性の涙は、その瞬間まで抑えていた心の痛みの一部だったのかもしれません。
私自身も、一瞬で涙があふれてしまう時期を経験したことがあります。父を亡くしてから半年ほどは、思い出した瞬間に突然出てくる大粒の涙を止めることはできませんでした。悲しみの深さは本人にしかわからないものだと思いますが、それほどまでの悲しみを抱えながら、普段は笑顔で過ごしているのだと思うと、いつか彼女が心からの笑顔を取り戻せるまで、できることがあればしたいと願わずにはいられませんでした。
次回の配信では、ブラチスラバから電車で1時間ほどのトレンチンという町のセンターで、クリスマスギフトのパッキングをした日のことをお届けします。強い感銘を受けた、二十歳の青年との出会いをご紹介しますので、ぜひお読みいただければ幸いです。
それでは、またお会いしましょう。
お読みいただき、ありがとうございました!
温かいご支援をいただきありがとうございます。
今回から7回にわたりスタッフの出張記をご紹介いたします。
こんにちは、ADRAの永井温子です。
2024年12月8日の日曜日の夜、1週間のスロバキア出張から帰ってきました。
スロバキアは、多くのウクライナ避難民が暮らす国。現地で見聞きしたこと、感じたこと、考えたことが私の中にあふれていますので、皆さまにお伝えできればと、7日間の出張記をお届けさせていただきます。続けての投稿となりますので、気が向いたときにお読みいただけたら嬉しいです。
この出張の初日、私はADRAスロバキアの事務所の一角で行われていたスロバキア語のレッスンを見学することができました。このレッスンには、ウクライナから避難してきた方々が参加しています。プロジェクターで上映されているスロバキア語のドラマに集中する生徒さんに交じり、私も空いていた椅子に腰かけました。
隣では、白いA4用紙にボールペンを走らせる女性が座っています。おそらく新しく出会った単語やフレーズをメモしているのでしょう。その熱心な姿勢に心を打たれていると、画面から流れるセリフに笑い声が上がり、参加者の方同士が目を合わせて楽しむ様子が見られました。
外国語のドラマを字幕なしで笑えるということは、それだけ語学力が熟達しているということです。同時に、一緒に学んでいる仲間との関係性もできていることを知り、この時間が、その場にいる方にもたらしている価値を感じることができました。
レッスン後に、参加者の方々と交流できる時間が急きょ、設けられることになりました。皆さんそれぞれがつらい経験を抱えていることを思うと、この日は何をどう話していいかわからなかったのが正直なところです。お帰りの際、握手の手を差し出した私を、両腕で抱き寄せてくれた女性が、私の緊張の糸をほぐしてくれました。
その時にかけられた言葉が、ウクライナ語だったのかスロバキア語だったのか、はたまた英語だったのか、はっきりとは覚えていません。ただ、「ありがとう」という意味だったことは分かります。私の手に、カバンの底から探し出したチョコレートを、笑って握らせてくれました。
次回の投稿では、翌日に訪れた避難民センターでのエピソードをお届けします。そこでの活動や、人々の声を共有できればと思っています。どうぞお楽しみに。
それでは、次回お会いしましょう。
お読みいただき、ありがとうございました!
いつもあたたかいご支援をありがとうございます。
11月に入り、ウクライナは一段と寒くなりました。
これから厳しい冬が始まります。
ADRAでは、電力や燃料が不足している東部や北部を中心に、ウクライナの人々が安全に冬を越せるよう、固形燃料(練炭)を配付しています。
先週は、ドニプロ州やザポリージャ州にある国内避難民センター10カ所を周り、合計約105トンの燃料を配付しました。これらのセンターには、主に前線付近から避難してきた高齢者、シングルマザー、障害を持つ子どもたちが身を寄せています。
今後も、より多くの方々が安心して冬を越せるよう支援を続けてまいります。
いつもあたたかいご支援をありがとうございます。
先月、 #ADRAひまわりプロジェクト の「ADRA畑」のひまわりを見に行ってきました!
ADRAひまわりプロジェクトは、戦争が続くウクライナの方々に「支援」と「希望」の両方を届けたいと企画したものです。期間中、ご寄付いただいた方に10~20粒のひまわりの種をお届けし、希望のひまわりを咲かせましょうと呼びかけました。また、ご自宅で育てる環境のない方の分は、宮城県山元町のご協力のもとADRA畑で育てました。
ADRA畑があるのは山元町の沿岸部。東日本大震災で最大12メートルの津波に襲われた地です。人口の約4%もの命が失われ、4,440棟の家屋が被災。道路や駅、畑など、あらゆるものが破壊され、流されました。
ADRAは当時から現在まで山元町の皆さまと関わり続けており、活動を担当しているスタッフにとっては第2の故郷にもなっています。
山元町では津波の被害を受けた土地の力を取り戻すために、毎年ひまわりの作付けが行われています。ひまわりは開花後、肥料として土地にすき込まれるので、ひまわりが咲いた分、大地が農地としてよみがえっていくのです。まさに希望の畑と言えます。
山元町ではADRAの種がまかれた辺りを「ADRA畑」とし、看板を立て、成長を見守ってくださり感謝しています。
ひまわり畑にはたくさんの観光客や親子連れが訪れ、花を摘んだり、写真を撮ったりしていました。花粉を集めるハチもたくさん飛んでいて、避難先のスロバキアでひまわりの絵を描いてくれたダイアナちゃんのことを思い出しました。
震災で被災した山元町も、人々の希望がつながり続けることで、平穏な生活を取り戻しつつあります。山元町が立ち直ったように、今戦争で傷ついているウクライナもきっと復興する日が来ます。この地でひまわり畑に立つことで、その希望を感じることができました。
山元町にADRA畑のひまわりをお願いできたご縁をこれからも大切にし、ウクライナの方々にも支援と希望を届け続けてまいります。
温かいご支援をありがとうございます。
ADRAは2024年7月22日、23日とウクライナでの人道支援として、ザポリージャ地域の方々に食品と衛生用品のキットを配布しました。地元自治体の要望により、基本キット1,137個、家族用73個、女性用248個を配付しました。
基本キットは独身、あるいは2人家族のための食品と衛生用品、家族用は3名以上で構成されるファミリー対象、そして女性用は受益者の要望に応え衛生用品を用意しました。
2024年7月24日には、ヘルソン地域の方に473の基本キット、97の家族向け、そして277の女性向けキットを渡しました。
この活動の目的は、市場へのアクセスが制限されている地域への支援です。これら地域の住民は、依然として止まらない砲撃による危険な状況にあります。最低限、人々の暮らしを守るため食という基本的なニーズを満たす支援を必要としています。
ADRAは、「1人ひとりに寄り添う支援」をモットーに活動を続けています。ウクライナの方々が、一日も早く平穏な暮らしを取り戻すことを願っています。引き続き皆様の温かいご支援をお願いいたします。
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ADRAは、世界約120国に支部を持つ世界最大規模の国際NGOです。
ADRA Japanはその日本支部として1985年に設立され、途上国や災害被災地において、人種・宗教・政治の区別なく、自然災害や紛争の被災者、医療を必要としている人々、教育を受けられない女性や子どもたちなどに寄り添い、自立を助ける支援や緊急支援を届けています。
このプロジェクトでは1回3,000円以上の寄付から領収書の発行が可能です。
※クレジットカードでの寄付に限ります。詳しくはヘルプページをご参照ください。
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