寄付受付開始日:2024/01/01
更新日:2024/07/02
2024年1月1日に石川県・能登地方で起きた地震で、甚大な被害が発生しています。被災地の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
被災地では、仮設住宅の建設が急ピッチで進むなど復興に向けた懸命の努力が続く一方で、今なお避難所で8,000人以上、自宅などで約1万3,000人が避難生活を余儀なくされています。AAR Japan[難民を助ける会]は地震発生直後に石川県内で緊急支援を開始し、現在も活動を続けています。
AARは緊急支援に留まらず、日常生活を取り戻そうと奮闘する被災者の皆さんに寄り添い、徐々に変化するニーズを的確にとらえながら、中長期的な支援に取り組んでまいります。AARの能登半島地震緊急支援へのご協力をお願い申し上げます。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
被災地では復興に向けた懸命の努力が続く一方、個々人ではどうすることもできない課題が山積しています。今後も被災者への支援を続けていく必要があるため、寄付受付期間を延長いたします。(2024年5月23日更新)
炊き出しや福祉施設を中心とした被災者支援活動に活用いたします。
<想定している使いみち・支援活動の例>
・現地調査など支援調整費
・炊き出し
・衛生用品、防寒具、栄養補給品など
※支援地域の状況・ニーズに合わせて、支援活動を実施いたします。
※指定されたご寄付は必ずその活動に活用いたします。
※約5%を支援を届けるための管理運営費に活用させていただきます。
最新の活動情報は随時AAR公式ウェブサイト、SNSをご覧ください。
"#2024notopeninsulaearthquake"
更新日:2024/07/02
地震発生から半年、被災地では復興が進む一方、今も約2,200人が避難所生活を送っています。AARは被災地の課題に対応するため、石川県七尾市に拠点を置いて、被災地支援を続けています。半年間の活動および今後の取り組みを報告します。
AARは地震発生直後から、協力団体や企業と連携して炊き出しや、緊急支援物資の配布を行いました。現在は仮設住宅入居者への家電提供、被災者支援制度の申請サポート、傾聴・マッサージなどの支援に取り組んでいます。また、住民のコミュニティー形成をサポートするため、仮設住宅内の集会所・談話室に備品類を提供する予定です。
能登半島地震では、障がい者福祉施設も被災し、建物や設備の損壊、施設利用者や職員自身の被災、福祉作業所の仕事の激減などの問題が発生、被災地の復興から障がい者が取り残されかねない状況にあります。AARは、障がい者福祉施設への地元団体と連携して、支援物資の配布を行ってきましたが、現在は福祉施設の復旧・再開支援と障がい者の個別支援を進めています。
また、外国人支援に取り組む地元団体と連携し、言葉や習慣の違いから情報にアクセスできずにいた外国人に支援物資を届け、関連団体や自治体につなげる活動も行ってきました。今後は地域住民との意思疎通を円滑にし、外国人の防災ネットワークづくりの中心となる日本語教室の拡充を計画中です。
AARは、これまで積み上げてきた被災地支援の知見を生かして、能登の皆さんと引き続き連携して、被災地の復旧と復興に尽力してまいります。
レポートはこちら
石川県内の被災地では道路の復旧や仮設住宅の建設が進む一方、今も多くの倒壊家屋が放置され、上下水道が使えないままの地域もあります。AARは2024年2月以降、「お風呂カー」巡回による入浴支援を続けています。
「ここにお風呂カーが来る時は、毎回入りに来ています。娘は障がいがあるので、自衛隊のお風呂は、人が多くて嫌がります。普段は鍋でお湯を沸かし、浴槽にためて入浴しているので大変です。このお風呂はゆっくり入れるので本当に助かります」
石川県能登町羽根地区の海岸に停車したお風呂カー。毎週土曜日の午前10時に運営を開始すると、住民の方が順番に入浴に来ます。娘さんと二人で入浴に来た高齢の女性は、嬉しそうに話してくれました。
近くに住む中学生の坂本逞斗さん(13歳)は、「毎回入りに来ています。普段は車で15分ほど離れた場所の自衛隊のお風呂に行ってますが、遠いし待ち時間も長くてちょっと不便です。お風呂カーはひとりでゆっくり入れるので嬉しいです」。震災後は一時、金沢市に集団避難していましたが、今春の新学期は自宅から元の中学に通っています。「自宅は家具が倒れたくらいで幸い無事でしたが、やっぱり4カ月たっても水道が使えないことが一番大変です」と話します。
レポートはこちら
能登半島地震で大きな被害を受けた石川県志賀町では、住宅が全壊または大規模半壊した被災者の応急仮設住宅への入居が進んでいます。AARは石川県や志賀町と連携し、入居世帯への生活家電の配布などの支援に取り組んでいます。
志賀町内には194世帯分の仮設住宅が建設され、2024年4月に入居が始まりました。入居者には県からテレビ、洗濯機、冷蔵庫が一律支給されますが、AARの支援は入居説明会の際に用意したリストからほしい家電を選んでもらい、後日配送するシステムです。
AARが調達した家電は順次届いており、「とぎ第1団地」から「第3団地」の約80世帯に聞き取り調査したところ、お届けした製品は不具合なく活用されており、「とても助かっているよ」とおおむね好評でした。
レポートはこちら
AARは能登半島地震で被災した石川県内の障がい福祉施設への支援を続けています。発生直後に食料や水、簡易トイレなどの支援物資を届けただけでなく、4カ月たった現在は、施設利用者の皆さんが働く作業所が再開されるように、資機材の提供や施設修繕などの支援を行っています。
石川県七尾市の障がい福祉サービス事業所「ゆうの丘」では、自動車部品や菓子箱の組み立て、アルミ缶のプレス作業、クッキーなどの菓子や乾燥シイタケの製造が大きな収入源でしたが、地震で作業場の建物や機材が壊れ、一部の作業ができなくなっています。
AARは菓子の生地を練るミキサーを提供したほか、地面が浮き上がってしまったプレス作業場の補修、倒壊したシイタケ乾燥小屋の再建を進めています。いつも乾燥シイタケの作業を楽しみにしているという男性は、「しいたけ作りの再開が楽しみ」と笑顔を見せてくれました。
レポートはこちら
AARは、支援から取り残されがちな外国人居住者への支援を継続して行っています。
在東京タイ王国大使館から提供されたタイ米と水の配布を手伝ってほしいと、AARは連携団体のNPO法人YOU-I(石川県野々市市)から依頼を受け、AARはラムニさんのように工場で働くタイ人やラオス人、ベトナム人の技能実習生に届けました。タイ米を受け取った皆さんは、「いつも食べていたので、本当にうれしい」と笑顔を見せ、「私たちのことを気にかけ、支援してくれてありがとう」と、何度も頭を下げてくれました。
自宅での避難生活を続ける外国人居住者も、不自由な生活を強いられています。タイ出身のアナン・アマさんは、震災直後に日本国籍の奥さんと近所の小学校へ避難しましたが、集団生活のストレスから2週間ほどで在宅避難に切り替えました。
他人と一緒に裸でお風呂に入るという日本の文化に慣れず、最初は自衛隊風呂に戸惑ったと言います。AARはアナンさんの自宅を訪問してタイ米を手渡し、アナンさんは「まさか自宅まで来てもらえると思わなかったので、とてもありがたい」と話しました。
レポートはこちら
「3カ月を経て緊急期から復興期に移行しつつある今、炊き出しや物資配布を中心とした支援から、全半壊した住まいをどうするかといった生活再建へと支援課題も変化しています。しかし、いまだに避難所での生活や在宅避難を続ける被災者もいて、炊き出しなどのニーズもなくなったわけではありません」。震災発生直後から現場で支援活動を続けるAAR東京事務局の生田目充は指摘します。
被災地では震災後、能登の人々は忍耐強く務めて前向きな姿勢、そして互いに助け合う地域の結束力で困難を乗り越えてきました。しかし、緊急期を過ぎて生活再建という現実が重くのしかかる中、「仮設住宅に当選しなかったらどうすればいいのか」「路線バスの本数が減って移動もできない」「将来への不安で夜もよく眠れない」といった悩みの声が逆に増えてきています。時間の経過とともに報道も減り、ともすれば関心が薄れつつありますが、被災地の厳しい状況は変わっていません。
生田目は「最も大変だった時期が過ぎて、今後を見据えた生活再建へとフェーズが変わっても、取り残されやすいのは、やはり障がい者や高齢者、外国人被災者といった人たちです。最も弱い立場に置かれた人々への支援を大切にするAARとして、地元の団体や行政との連携を深めながら、こうした被災者への支援を地道に続けていく必要があると考えます」と話します。
被災地の復興には長い時間と膨大な労力が求められるのは言うまでもありません。AARは緊急支援に留まらず、日常生活を取り戻そうと奮闘する被災者の皆さんに寄り添い、徐々に変化するニーズを的確にとらえながら、中長期的な支援に取り組んでまいります。引き続き、AARの能登半島地震支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。
レポートはこちら
AARは、施設の管理者や職員の方々の不安や悩みに真摯(しんし)に耳を傾ける「傾聴」の活動を行いながら、必要とされる支援を届けています。
石川県七尾市で障がい者福祉事業を行う共同生活援助事業所「ともえ」は、地震により施設の一部が損壊するなど大きな被害を受けました。断水が2カ月以上続き、職員の皆さんは近くを流れる川からくんだ水をバケツリレーで施設に運び、生活用水として使用していました。障がいのある利用者さんが使う施設のトイレに水が通じるようになったのは2024年2月中旬だったといいます。
「利用者と施設をどうするかが最優先でした。自分の家のことは後回しで、3月(2024年)に入ってようやく自宅の片付けを始められました」と、ともえの代表の花田仁美さんは話します。自らも地震の被災者でありながら、利用者の方々の震災後のサポートに追われる中で、施設の職員の方々には肉体的な疲労に加えて、精神的にも大きな負担がありました。「毎日やることが多すぎて、疲れて頭も働かない。何をどうやっていけばいいかが分からなかった」と花田さんは話します。
ともえは、避難所生活を余儀なくされている障がい者を受け入れたり、今後の災害時・緊急時に避難場所として利用したりする施設の整備を計画しており、AARはそのサポートを検討しています。
レポートはこちら
AARは被災した障がい福祉施設、障がい者世帯への支援に力を入れています。その中で見えてきた問題のひとつが、外見的に気付きやすい身体障がいと比べて、発達障がいや精神障がいなど一見して「見えない障がい」がある被災者の悩みです。これは能登に限らず、大規模災害が起きる度に起きる課題でもあります。
「多くの被災者が集まる避難所で、精神障がいのある利用者のことを理解してもらうのは非常に難しい現実がありました」。障がい者や不登校・引きこもりなどの問題を抱えた人たちを支援する一般社団法人「ともえ」(石川県七尾市)管理者の松下順子さんは大きなため息をつきました。「避難所で2カ月間、一般の被災者の皆さんとずっと一緒にいると、ささいなことがトラブルになって、『頭がおかしいやつらや』などと言われてしまって」。
一見しただけでは気付きにくく、周囲から理解されにくいのが、発達障がいや精神障がいです。環境が変わることでパニック状態になり、大声を出すなどのケースもあるため、災害発生時には避難所での集団生活に適応するのが難しく、しばしばトラブルとなることもあります。
避難所でトラブルが発覚した後、松下さんたちはしばらく様子を見ていましたが、2人いた利用者のうちひとりは別の福祉施設のショートステイを利用することなり、もうひとりは別の避難所に移らざるを得ませんでした。「理想的には障がいの有無にかかわらず、一緒に過ごせればいいのですが……実際は難しいですね」。災害時に障がい者が安心して避難生活を送れる「福祉避難所」などの場所づくりの重要性を再認識したといいます。
レポートはこちら
現場で救援物資を届けるにあたってしばしば直面するのが、物資集積所から個々の被災者の手に渡るまでの最後の区間で配達が滞ってしまう、いわゆる「ラストワンマイル問題」です。石川県内の障がい福祉施設を支援しているAAR Japan[難民を助ける会]は、地元のNPO法人や企業と連携して、この問題の克服に取り組んでいます。
壊滅的な被害を受けた交通インフラは、主要な幹線道路の復旧が急ピッチで進められる一方、人口が少ない地域では物資が届きにくい状況が続いています。NPO法人「石川バリアフリーツアーセンター」(金沢市)は、障がい者や高齢者に石川観光のバリアフリー情報などを提供しており、震災発生後はそのネットワークを生かして物資配布など支援活動を続けていますが、配送の人手が足りずにラストワンマイル問題に直面していました。
「物資配布を手伝ってもらえないか」と相談を受けたAARは、同センターの配達を代行してAARの支援物資と一緒に効率良く配送するとともに、同センターが入手できずにいた食料品をAAR側が補填するなど、協力し合っています。
レポートはこちら
AARは、被災した人々に少しでも元気になってもらおうと、地域の福祉施設と連携して、羊かんとクッキーなどの詰め合わせを配布しました。
石川県七尾市の社会福祉法人「野の花福祉会」が運営する障がい福祉サービス事業所「ゆうの丘」は、AARが緊急支援の開始直後に支援を届けた施設です。2024年1月3日に飲料水や食料、清掃用具などを提供し、その後も断水が続く施設に、非常用の携帯トイレやトイレ用テント、衛生用品などを提供しました。
今回「ゆうの丘」の皆さんは、「被災直後から助けてもらってきたので、今度は自分たちが何かできれば」と、お菓子の配布を企画し、AARのスタッフとともに地域の皆さんに届けました。ご挨拶もかねて一軒ずつ回り、短い時間でも会話することによって、在宅避難でふさぎ込みがちな気分が晴れるように、という狙いもあります。
「ゆうの丘」の本田雄志理事長(79)は「甘いものは被災のつらさを一時でも忘れさせてくれる。羊かんとうちのクッキーを食べてゆっくり休んで、元気を取り戻してくれれば」と話します。「震災被害のつらいニュースばかりで心が痛むが、これから前に進んでいくためにも、こうしたささやかでも明るいことが大切だね」。
レポートはこちら
AARは被災地で活動するNPOと連携して、移動式お風呂カーの支援を開始しました。
石川県の被災地ではライフラインや道路などのインフラが大きな被害を受けました。なかでも上下水道の被害は大きく、今も広い地域で断水が続いています。こうした地域の人々は自衛隊や宿泊施設が提供する浴場を利用していますが、使用可能時間や利用者数に制限が設けられていたり、場所が離れていたりするため、希望どおりに入浴ができるわけではありません。
お風呂カーは能登町神和住地区を皮切りに2024年2月19日から運用を開始。輪島市町野町若桑避難所に避難している上谷さんは30分以上お風呂を堪能し、「久しぶりに自分の家の風呂に入っているようでとても良かった。本当に気持ちよかった。ありがとうござました」と笑顔で話しました。利用された他の皆さんは「浴槽が広くて気持ち良かった」「久しぶりに一人でのんびりお風呂に入れた」とさっぱりした様子で話し、入浴後の時間をくつろいで過ごしていました。
レポートはこちら
能登半島地震で最大震度7を観測した石川県志賀町は、住宅約5,800棟が全半壊(一部損壊含む)する大きな被害を受けました。同町では仮設住宅の建設が進められており、AARは入居者に家電製品や生活用品を提供するほか、自主避難所などへの支援を準備しています。
約100人が暮らす志賀町東小室地区(旧富来町)では、何軒もの民家や土蔵が全半壊しました。当初避難した被災者は自宅に戻ったり親戚宅に移ったりして、集会所に寝泊まりしているのは現在15人ほど。近隣の指定避難所(防災センター)に行政から届く食事をまとめて受け取りに行き、朝はパン、昼はおにぎり、夜は弁当などが提供されるほか、住民同士が持ち寄る野菜、鮮魚などで副菜や汁物を作って分け合っています。他方、在宅避難者には公的支援が行き届いていないなど課題も少なくありません。
志賀町では海岸寄りの旧富来町エリア3カ所でプレハブ、トレーラーハウスの仮設住宅97棟が建設されています。しかし、入居希望に対して軒数は十分ではありません。
AAR支援チームは志賀町など関係者と協議し、支援ニーズを把握したうえで、仮設住宅入居者に家電や生活用品を提供するとともに、自主避難所や在宅避難者、地域の障がい福祉施設への支援を準備しています。
レポートはこちら
AARの炊き出しの中心を担っているのは、パートナー団体の認定NPO法人ピースプロジェクト(代表:加藤勉AAR理事)。
避難所の食事はどうしても単調で栄養が偏りがちです。不自由な避難生活にあって、せめて食事の時だけでも、皆さんが笑顔になれるホッとした時間を提供できるように工夫を重ねており、地元の郷土料理「とり野菜みそ」をはじめ、生姜焼き、かつ丼、牛丼、野菜カレーなど多彩なメニューをお届けして評判も上々です。
炊き出しを受け取った男性(60代)は「本当に助かっています。やっぱり作りたてはおいしいですね」と笑顔を見せてくれました。新鮮な野菜を使った野菜カレーをお出しした時は、性別・年齢を問わず、「まさか避難所でこんなものを食べられるとは思わなかった」という声が上がったそうです。
レポートはこちら
※当募金ページに記載の内容については、プロジェクトオーナーが責任を負っており、LINEヤフー株式会社が責任を負うものではありません。詳しくは免責事項をご覧ください。
※本ページの「プロジェクト概要」「活動情報」「寄付金の使いみち」に掲載のリンクは、外部サイトに移動します。
※寄付をするには Yahoo! JAPAN IDの取得(無料)が必要です。
AAR Japan[難民を助ける会]は1979年に日本で発足した国際NGOです。
災害支援、難民支援、障がい者支援、地雷対策などを、国内外あわせて17カ国で実施しています。
特に困難な状況にある方たちに迅速に支援を届けることをモットーとしています。世界各国での緊急支援の経験を生かし、いち早く現場に駆け付け活動しています。
このプロジェクトでは領収書の発行をおこなっておりません。
Facebookコメントで寄付先への応援をお願いします
記入された応援のコメントは、寄付先団体およびYahoo!ネット募金の広報・宣伝活動(記者会見やプレスリリースでのご紹介等を含む)に 使用させていただく場合がございます。
ご了承の上、コメントを記載いただきますようお願いいたします。(2020年9月23日追記)
※本コメント機能はMeta Platforms Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してLINEヤフー株式会社は一切の責任を負いません。