寄付受付開始日:2023/02/07
更新日:2024/11/06
トルコ南部で2023年2月6日、大地震が発生し、その後もマグニチュード6から7クラスの大規模地震が相次ぎました。
トルコと隣国シリアで5万人以上の死亡が確認されました。地震から1年半たちましたが、いまだにコンテナ(仮設住宅)で避難生活を続け、不自由な生活を強いられている人々がいます。それでも現地では、震災を乗り越えようと懸命に生きる人々の姿があります。
AAR Japan[難民を助ける会]は発生直後から食料や毛布などの緊急配布を実施し、現在も中長期的支援を視野に活動を継続しています。
【これまでの支援例】
・アドゥヤマン県とカフラマンマラシュ県で、コンテナの雨漏り対策として雨除けシートと、夏の暑さ対策として日よけシートとひさしを配布。
・アドゥヤマン県とカフラマンマラシュ県で、冬が始まる前に防寒具(冬服と防寒靴)を配布。
・シャンルウルファ県でシェルターに身を寄せる家族に毛布と子ども用おむつを配布。
・パスタやオリーブなどの食料詰め合わせ、毛布、下着セットを配布。
・衛生用品(液体石けん、歯磨き、ウェットティッシュ)と生理用品、おむつ、調理済み食品セット(オリーブ、チーズ、ジャム、チョコレートクリーム)を配布。
・アドゥヤマン県の4地区を訪問し、食料セット(小麦粉、コメ、豆類、パスタなど)、赤ちゃんセット(ベビーフード、おむつなど)、下着、生理用品を配布。
・キャンプ村に食料詰め合わせ、衛生用品・生理用品、子ども用おむつなどを配布。
・被災したシリア難民の住環境を改善
今なお多くの人々が厳しい環境での避難生活を余儀なくされています。
AARはトルコ国内で1999年北西部地震、2011年東部地震の緊急支援を実施したほか、2012年よりシリア難民支援を継続しています。これまで築いた現地ネットワークを生かして、迅速な支援を実施いたします。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
地震発生より、 2024年8月で1年半を迎えますが、被災地ではいまだに不自由な避難生活を強いられている人々が数多くいます。そうした被災者の生活を支えるため、寄付受付期間を延長いたします。皆さまのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。(2024年7月22日更新)
トルコ地震の被災者への緊急支援活動に活用させていただきます。
<想定している使いみち・支援活動の例>
・食料、飲料水、毛布、衛生用品などの物資配布
・現地調査など支援調整費
※調査の上、支援現場で必要とされることに基づき、支援を届けていきます。
※指定された緊急支援活動に必要な資金を上回るご協力をいただいた場合は、次なる緊急支援などに活用いたします。
※約5%を支援を届けるための管理運営費に活用させていただきます。
最新の活動情報は随時AAR公式ウェブサイト、SNSをご覧ください。
更新日:2024/11/06
被災地では、夏になり気温が40℃から45℃まで上昇し、非常に強い日差しが続いています。テントやコンテナが直射日光を浴びると中はサウナのように熱くなり、扇風機やエアコンが付いたコンテナも多くないため、その中で生活することは困難です。しかし、外に出ても避難所には日陰がありません。
そこで、AARは2024年4月から7月にかけて、直射日光を和らげる日よけシートを配布しました。合計1,420枚(5,680人分)を配布し、多くの被災者の暑さ対策に役立てました。
また、長引く避難生活では、同じ被災者同士が苦しい生活の中で想いや情報を共有し、支え合えるコミュニティーの存在が非常に重要となります。AARでは、コミュニティー形成の一助となるよう、村の共用スペースに木製椅子付きテーブルを48台整備し、被災された方々が気軽に集える場所を提供しました。また、公立小学校11校に、子どもの遊び場を整備し、約7,000人の子どもたちが安心して過ごせる場所を提供しました。
被災地のニーズは季節や経過する時間によって変わっていきます。AARは今後も被災された方々のニーズと想いに寄り添いながら支援を続けてまいります。
被災地では「住宅用コンテナの雨漏りに困っている」「冬服がないので冬を越せるか心配」「洗剤や石けんなどの衛生用品が足りない」など、被災者からさまざまな声が寄せられてきました。AARは2023年秋から2024年春にかけて、変化する被災者のニーズに合わせてコンテナ用の雨除けシート1,600枚、冬服と靴のセット1,028世帯分、衛生用品セット(洗剤、歯ブラシ、生理用品など)5,992世帯分を配布しました。冬用の服と靴は事前に個々の被災者に合うサイズを確認してから届けました。
支援物資を届ける際、AAR職員は被災者とのコミュニケーションを大切にしています。会話の中で生活について尋ねると、被災地の現状や今の気持ちを表す言葉が返ってきました。
「地震から1年以上たちましたが、ご覧の通り、未だテントやコンテナでの避難生活が続いています。復興が進んだ場所もあると聞きますが、私たちの生活は苦しいままです」「余震も度々起きます。つい先日も感じました。余震があると地震発生当時のことを思い出してしまい、よく眠れなくなったり、子どもが泣き叫んだりすることもあります」「早く以前の暮らしに戻りたい。私の家に帰りたいです」。
AARが主に活動している非公式キャンプは、山間部に村々が点在するなど支援が届きにくい状況にあります。
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トルコでは秋から新学期がはじまりました。しかし、2023年2月の大地震によって仕事を失うなど収入が減少した世帯から「子どもたちの学用品を準備できない」といった声がありました。
そこでAARは新学期にあわせて、学用品をそろえることができない被災した子どもたちに、学用品を届けました。被災地の小学校と中学校を訪れて、小学校ではノート、えんぴつ、クレヨン、通学につかうリュックなどを、中学校ではスケッチブックと専用バッグを手渡しました。
子どもたちは友だちと見せ合ったり「わー、こんなのもある!」「すてき!」などと話したりしながら、とても嬉しそうに抱えていました。
「地震当日、私は少し遠方まで泊りがけで出かけていました。そこで大きな揺れに遭い、大地震が起きたことを知りました。村の様子が気になり、急いで戻ってみると、あまりの光景に現実を直視することができませんでした」。
残暑が続く2023年9月下旬、支援物資を届けるために訪ねたアディアマン県ベスニ郡の村で、レイラさん(55歳)は話しました。ここは最も被害が大きかった地域のひとつで、地震から8カ月近くが過ぎても、崩れた建物やがれきが撤去されずに残されていました。
「私が住んでいた村は丸ごと消えていました。自宅は崩れ、家の中にあった家財道具すべてが、がれきの下敷きになっていました。そこでの生活や楽しかった思い出も、何もかもが失われました。本当につらかった。地震前のあの家に帰りたい、そんな思いで今も過ごしています」とレイラさん。洗剤や石けん、シャンプーなどを手渡すと、言葉を詰まらせながら心情を語ってくれました。
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トルコ南東部で2023年2月6日に起きた大地震から半年がたちました。AAR Japanは、空き地や倒壊した自宅の周辺にテントやコンテナを設置した「非公式キャンプ」で避難生活を続ける被災者をサポートしています。国連推計では、今も避難生活を送る240万人のうち160万人が非公式キャンプにいます。
アイシェさん一家は4カ月ほど市内の別の場所でテント生活を送った後、水道と電気があるという理由で今の非公式サイトに移ってきました。ただし、水というのは公園の水道で、電気は電線から勝手にテントに引き込むいわゆる「盗電」です(トルコの地方都市では震災前から一般的)。
6カ月にも及ぶ不自由な避難生活にアイシェさんは疲れ切っています。「テントでの生活は不便だし、カギもないので安心できません。ベッドは息子用の小さなものがあるだけです。洗濯は公園の水道で手洗いしています。石けんなどの衛生用品はいくらあっても足りません」。
トルコ政府は市街地の非公式サイトを順次閉鎖していく方針を表明しています。それはつまり、アイシェさんたちのように公式サイトに入る資格がなく、経済的に新しい家を借りることもできない人々にとっては、行き場がなくなることを意味します。
「ここから出て行けと言われても、新しい住まいがない限りどこにも行けません。私たちには将来の展望が何もありません。地震が起きて、私たちは死んだも同然です。いつも心の中で泣いています」。アイシェさんは絞り出すような声で話しました。
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トルコ南東部で2023年2月6日に起きた大地震から5カ月がたちました。AAR Japan[難民を助ける会]は発生直後に緊急支援を開始し、現在は政府が運営する公式の避難所ではなく、空き地や倒壊した自宅の周辺にテントやコンテナを設置した「非公式キャンプ」で避難生活を続ける被災者をサポートしています。国連推計では、今も避難生活を送る240万人のうち160万人が非公式キャンプにいます。
カトネさん(53歳、ハタイ県)は震災で家を失い、テントで生活しています。政府が運営する避難所のコンテナ住宅が割り当てられましたが、カトネさんは「親戚や村の人たちと離れて暮らしたくない」と入居を拒み、自宅近くで不自由なテント生活を続けています。
「地面に直接張られたテントはほこりが多く、雨が降ると泥水が流れ込んで水浸しになります。最近は気温が上がるにつれて虫が増えて困っています」。住環境が少しでも改善されるように、AARはテントの床にパレット(すのこ)を敷きました。「いつか新しい家を建てて、家族と元のように暮らすことが夢です」とカトネさんは話します。
100世帯以上のシリア難民が集まって暮らすアドゥヤマン県内の集落では、仮設コンテナさえ設置されず、人々は簡素なテントで避難生活を続けています。テント内の床は雑草が生えた土の上に薄いカーペットやビニール袋を敷いただけなので、夜になると地面からの冷気でテント内が冷やされ、雨が降ると泥が流れ込んでしまう状態でした。
AARは現地協力団体と連携して、この集落で暮らすシリア難民157世帯を対象に、住環境を少しでも改善するための支援を実施。応急措置の床面を作るために、パレットと呼ばれる頑丈な「すのこ」1,600枚、それを固定するための砂35トン、パレットの上に敷くマット266枚を配布しました。また、家族だけでの作業が難しい世帯では、現地スタッフが搬入・設置をサポートしました。
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地震で自宅が倒壊したというレムジイさん(38)は、夫と子ども3人とテント生活を続けています。一家は6年前の2017年3月にも地震で自宅が倒壊し、その後、市街中心部に家を再建して暮らしていましたが、その家も2023年2月の地震で再び損壊して住めなくなってしまいました。
「6年間で2度も地震で家を失うなんて……どうしてこんな目に遭わなければならないのでしょうか。この3カ月間、行政や支援団体からの援助はほとんど受けていません。テント生活はとても不自由で、雨が降ると水浸しになります。AARが食料や衛生用品、子どもたちの服を届けてくれて、日本の皆さんに本当に感謝しています。今はただ普通の暮らしに戻ることだけを夢見ています」。レムジイさんは疲れた様子で話しました。
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トルコ南東部で2023年2月6日に起きた大地震の被災地では、損壊した建物のがれき撤去が進む一方、仮設住居に使うコンテナやテントが続々と運び込まれています。被災住民は数家族ずつ集まって空き地に「非公式キャンプ」を形成し、不自由な避難生活を続けています。
トルコ政府は仮設住宅が立ち並ぶ「公式キャンプ」を各所に開設し、食料支給などの支援を実施していますが、その半面、非公式キャンプには支援が行き届かない状況があります。被災者からは「公的な支援がなかなか届かず、食料も飲料水も不足している」と訴えます。
公式キャンプの建設が進むにつれて、非公式キャンプから移る人々が増えることが予想されるとはいえ、被災者の数がけた外れに多いことから、「非公式キャンプは少なくとも今後数カ月は残るだろう」(現地当局者)と見られます。また、仮に仮設住宅に入居できるとしても「自宅から遠い町には移りたくない」という高齢者も少なくありません。
AAR Japanは震災発生直後から食料、毛布などを配布する緊急支援を実施しています。被災地の復興、生活再建が強く意識される時期に入り、支援をするうえで新たな課題も見えてきました。AARは支援が行き届かない遠隔の農村部、非公式キャンプなどで暮らす人々のニーズを聞き取り、刻々と変化する状況に対応しながら支援活動を続けてまいります。
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AARは今月、カフラマンマラシュ県の農村部の被災世帯に食料詰め合わせや衛生用品セットを配布しています。
夫と幼い子ども2人の家族4人で避難生活を送るビルギュルさんは、「地震が始まった時、私たちは4人とも家の中にいました。居間で身を寄せ合って、揺れが収まるよう泣きながら祈りました。せめて子どもたちは無事であってほしいと、私と夫はこの子たちに覆いかぶさって守りました」。と話しました。
そして、食料や水、衛生用品、下着など何もかも足りない中、こう訴えました。「私が今一番望んでいるのは、一刻も早く安全な場所に移ること。そして子どもたちが勉強したり、思い切り遊んだりできる環境を取り戻してあげることです」。
震災発生では今も多くの人々が支援を待っています。
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「この1カ月間、町に残った者は学校の校庭や空き地に設けられたテントで過ごしています。朝晩は寒いので、自分で作ったストーブでお湯を沸かして顔を洗い、洗濯や食器洗いにも使っています」と、被災したある男性は力なく話しました。
震災発生から1カ月を経て、膨大なニーズに対して支援物資は大幅に不足し、被災者の生活再建のめどは全く立っていません。
AARは2023年3月6日、シャンルウルファ県内の3つのキャンプ村に食料詰め合わせ、衛生用品・生理用品、子ども用おむつなどを配布しました。今後数週間、地元自治体や他の支援団体とも連携し、農村部など支援が行き届いていない地域の被災者に物資配布する予定です。
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無数の建物が倒壊したシャンルウルファ県都のシャンルウルファ市街では、救助活動が山場を越え、がれきの撤去作業が進められています。公園に仮設されたテント村に滞在する家族が徐々に減る一方で、最も被害が大きかった近隣のハタイ県、アディヤマン県などから避難して来た人々は、仮住まいする家探しに苦労しています。
トルコ在住のシリア難民の男性は、「トルコの人たちは親戚のところに身を寄せることもできるが、私たちは家を失って新たに住む場所を確保しなければなりません。しかし、多くの建物が壊れてしまった今、賃貸住宅はわずかしかなく、賃料はとんでもなく高騰しています。仕事を失って家族を養う手立てもありません」と訴えます。AARは地元自治体と連携し、困窮する個々の被災者を特定して支援につなげるシステムを構築中です。
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「村まで来てくれてありがとう。なかなか支援が届かなくて困っていたんだよ」――。
緊急支援チームは2023年2月21日、アドゥヤマン県に入りました。近年発展を続ける県都アドゥヤマン市も大きな被害を受けましたが、私たちは農村部の被災者に焦点を当てました。都市部では不充分とはいえ支援物資が定期的に配布されるのに対し、農村の人々にはそれらが行き届いていないからです。
2023年2月21~22日、アドゥヤマン県の4地区を訪問し、現地協力団体とともに食料セット(小麦粉、コメ、豆類、パスタ、お茶、調味料など)、赤ちゃんセット(ベビーフード、おむつなど)、下着や生理用品を届けました。これらの地区では震災で大きな被害が出たうえに、道路が寸断されて支援が届かない「陸の孤島」の状況が続きました。
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家を失った被災者は厳冬期、公園に仮設されたテントや車両の中で寒さに耐えるか、超過密でトイレも不足した避難施設で過ごすしかなく、不衛生な状態で病気が蔓延(まんえん)する恐れも高まっています。
AARは地元自治体や他の支援団体と協議しながら、シャンルウルファ県内で2023年2月14~16日、衛生用品(液体石けん、歯磨き、ウェットティッシュ)と生理用品、おむつ、調理済み食品セット(オリーブ、チーズ、ジャム、チョコレートクリーム)を配布しました。
支援現場で会った現地当局者は「仮設のコンテナとテント、まきストーブが足りない」、被災者からは「子ども用ミルクや医薬品が手に入らない」という声が聞かれました。
AARは引き続き被災者支援を続けてまいります。
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AAR Japan[難民を助ける会]は1979年に日本で発足した国際NGOです。
自然災害などでの緊急支援、難民支援や、障がい者支援、地雷対策などを、世界16カ国で実施しています。
特に困難な状況にある方たちに迅速に支援を届けることをモットーとしています。世界各国での緊急支援の経験を生かし、いち早く現場に駆け付け活動しています。
このプロジェクトでは領収書の発行をおこなっておりません。
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ご了承の上、コメントを記載いただきますようお願いいたします。(2020年9月23日追記)
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