寄付受付開始日:2022/03/01
更新日:2025/03/06
【ウクライナの方々へ日本から支援を】
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は2022年2月24日の開始から3年がたとうとしています。事態は混とんとし、ウクライナから国外に脱出した難民の数は、680万人を超え、ウクライナ国内においても約370万人の国内避難民が厳しい状況に置かれています。AAR Japan[難民を助ける会]は、ウクライナ国内、日本で難民・避難民のニーズに合わせた支援を行っています。
1.ウクライナでの活動
■地雷・不発弾の被害者および困窮した障がい者と高齢者への支援とコミュニティーの復興
ウクライナでは、戦闘やミサイル・ドローン攻撃による被害だけでなく、残された地雷や不発弾などによる事故も多発しています。しかし、軍事費が優先される中で福祉予算が削減され、戦争で傷ついた人々への十分な支援が行き届いていません。また、福祉サービスに頼っていた障がい者や高齢者も困窮しています。
AARは、現地の団体と協力し、地雷や不発弾の被害を受けた人を含む障がい者や高齢者を支援します。健康診断や医薬品の提供、リハビリ、補助具の支援など、医療サービスを届けるほか、病院の設備や機材の提供も行います。また、地域の人々に福祉サービスの情報を伝えたり、心理的・社会的な支援を行ったり、障がいに関する理解を広める活動にも取り組み、戦争で傷ついたコミュニティーの再生を後押ししていきます。
2.日本での活動
■来日ウクライナ避難民支援
ウクライナから2,000人以上の方が日本に避難しています。言葉や就労、教育など多様化する避難民のニーズに対応するために、サポートを続けています。姉妹団体である社会福祉法人さぽうと21と協働で実施しています。
【これまでの難民支援】
1979年に設立したAARは、政治・思想・宗教に偏らずに活動することを基本理念として40年以上にわたり活動しています。これまでにインドシナ難民やチェチェン難民、近年ではロヒンギャ難民やアフガニスタン避難民への支援を実施。食料や物資の配布などの緊急支援を行ってきました。今回の支援においても、難民支援の経験のある緊急支援チームが活動にあたります。困難な状況下にある人々の中でも、特に弱い立場にある方々へ、長期的な視点をもって支援していくことを重視して活動しています。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
ウクライナ危機発生より、2025年2月で3年がたとうとしています。ウクライナを取り巻く内外の環境は変化しつつありますが、ロシアによる軍事侵攻は続いています。今後も難民・避難民への支援などを続けていく必要があるため、寄付受付期間を延長いたします。皆さまのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。(2025年1月29日更新)
ウクライナ難民への緊急支援活動に、大切に活用させていただきます。支援現場で必要とされるものを届けていきます。
最新の情報は随時当会ホームページ、SNSなどをご覧ください。
認定NPO法人 難民を助ける会 公式サイト
“#ウクライナ緊急支援”
更新日:2025/02/21
ロシアのウクライナへの軍事侵攻は2022年2月24日に始まりました。東部地域の戦闘や全土への無人機(ドローン)攻撃が続き、開戦より3年がたった現在も1,000万人を超える難民・国内避難民が困難な状況に置かれています。AAR Japanは危機発生直後に難民・避難民支援を開始し、現在はウクライナ南部ミコライウ州で戦禍に苦しむ障がい者世帯を支援しています。
ミコライウ州内で暮らしていたユーリイさん(59歳)と妻(56歳)は、近所の用事を済ませに外出したとたん、すぐ近くで大きな爆発音が聞こえました。驚いて家に駆け戻った瞬間、別のミサイルが着弾し、爆風で地面にたたきつけられたといいます。下半身に激痛が走り、「右脚が破片で切り裂かれて足の指も1本なくなっていた。妻も頭に大けがをしていました」。ユーリイさんは自ら重傷にもかかわらず、懸命に意識を保ちながら妻に応急手当てを施し、病院に搬送されました。
ユーリイさん夫婦はAARの現地協力団体「The Tenth of April」(TTA)が提供したテントに仮住まいしています。ユーリイさんは右耳の聴力をほとんど失って補聴器が欠かせなくなり、歩行補助具の杖(つえ)なしでは歩けません。右脚の痛みが絶えず痛み止めの薬を常用する必要があるほか、支給された杖(つえ)も使い続けて不具合が生じています。
そんな体調でのテント暮らしは過酷で、とりわけ厳冬期は耐え難いと言います。「あの日から家族の生活は一変しました。まずは家を建て直したいが、こんな体では働けないし、政府の年金でほそぼそと生活するのがやっとです」。ユーリイさんは無力感に陥っています。
ヘルソン州南部からミコライウ州に避難してきたオクサナさんの息子ボグダン君(13歳)は、「ラーセン症候群」と神経感染症の合併症のため、生まれつき起き上がることも話すこともできず、呼吸や栄養摂取などすべてを医療機器に頼っていますが、周囲のことはすべて理解しているといいます。
開戦以降、オクサナさんは息子のボグダン君の世話のために働けなくなり、収入が途絶えて生活は困窮しています。ボグダン君は在宅用の呼吸補助器が常に必要ですが、発電施設への攻撃で停電が常態化し、その度に救急車を呼んで病院に搬送しなければなりませんでした。地元NGOからバッテリー駆動の小型発電機を提供されたものの、停電が丸2日続くこともあり、そんな時、オクサナさんは一睡もせず昼も夜もボグダン君を見守っています。
こんな状況でもオクサナさん一家はウクライナを離れようとはしません。「ここは私の故郷です。私たちはウクライナの領土のため、子どもたちの未来のために戦わなければならないのです」とオクサナさんは話します。
AARと現地協力団体TTAは事前調査を踏まえて、障がい者の個別支援として185世帯に健康診断の費用、医薬品・衛生用品、歩行補助具、呼吸補助器などを順次届けるほか、州都ミコライウ市内の2つの医療機関にリハビリテーション機材を提供します。
軍事侵攻が長期化する中、ウクライナ国内では多数の障がい者に加え、ロシア軍の攻撃で負傷した人々の苦境が続いています。AARのウクライナ支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
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ロシアによる軍事侵攻が始まって以来、ウクライナ国内では地雷や不発弾による犠牲者が増え続けています。AAR Japanが英国の地雷除去専門NGOヘイロー・トラスト(THE HALO TRUST)と連携して、キーウ州、ハルキウ州、ヘルソン州で実施した地雷・不発弾の調査活動を報告します。
2023年9月から2024年8月までの間、ヘイローの調査チームはキーウ州、ハルキウ州、ヘルソン州などの68の村で活動を実施。地域住民や軍関係者への聞き取り調査などを通じて、新たに6つの危険地域を特定し、地雷の存在を示すマーキングを行いました。また、前述の3州で27件の爆発物処理要請にも対応し、46個の爆発物を特定しました。そのうちの44個は遺棄された弾薬または不発弾であり、残りの2個はクラスター弾でした。
地雷除去活動において、最も基本的かつ重要なステップとなるのが調査活動です。地雷が存在しないことが確認できれば、安全な土地として使用することができます。また、リスクが高い場所を特定できれば、除去活動をより効率的かつ効果的に行えるようになり、何より新たな被害者を生むことを防ぐことができます。
仮に、ウクライナでの軍事衝突が終結したとしても、地雷・不発弾は残されたままです。AARは現在、ウクライナでの地雷・不発弾対策として、地雷や不発弾の危険から身を守る方法を教える地雷回避教育を行っています。引き続き、AARのウクライナ緊急支援活動にご協力くださいますよう、お願い申し上げます。
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ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、年が明ければ3年目を迎えようとしています。ウクライナ南部でAARが現地協力団体と提携して支援している対象は、経済的に恵まれず、病気や障害があり、長引く戦時下でますます困窮する地域住民や国内避難民です。
「ロシア軍のドローン攻撃で自宅の屋根や窓が壊れてしまい、修理する費用もないので、親戚の家に住まわせてもらっています」。州都ミコライウ市南郊の小さな一軒家で、シングルマザーのアンナさん(34歳)は、視覚障害のあるミーシャ(9歳)とマルガリータ(6歳)の兄妹を抱き寄せました。
アンナさんは離婚後、スーパーの店員として生活費を得ていましたが、子どもたちを置いて働きに出ることもできず、収入と言えるのは月額1万1,000円相当のミーシャの障害児手当だけです。わずかな貯金を切り崩す生活が続く中、AARが昨年届けた生活費で、アンナさんは越冬用の薪を買い込みました。
アンナさんは「一番心配なのは、この子たちのこと。私たちを助けてくれる日本の人たちに『ありがとう』と伝えてください」と話します。
ミコライウ郊外で暮らすアレクシーさん(72歳)、エカテリーナさん(64歳)夫婦は45年間連れ添ってきました。元気だった元会計士のエカテリーナさんは開戦後間もなく、昏倒(こんとう)して1週間寝込み、身体の自由が利かずに起き上がれなくなりました。
エカテリーナさんが心を痛めているのは、ウクライナ軍が越境攻撃を仕掛けているロシア西部クルスク州に住む妹のこと。妹は旧ソ連時代にクルスク州の男性と結婚し、ソ連崩壊後はロシア国籍を取得して向こうに残りました。「長年連絡を取り合っていたのに、戦争が起きてから不仲になってしまい、今では音信不通です」とエカテリーナさんはベッドに横たわったまま嘆きました。
平時から厳しい生活を送っていた人々が戦時下でますます追い詰められています。AARはこうした弱い立場におかれた人々が支援から取り残されないように活動を続けてまいります。AARのウクライナ人道支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。
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AARは、ロシアの軍事侵攻が続く、ウクライナ南部のヘルソン州で、困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行いました。
2024年9月12日、AAR職員は現地協力団体「The Tenth of April(TTA)」の現場チームとともに、ヘルソン州の北西端プラヴディノ村は訪れました。ウクライナ軍は州都ヘルソン市やプラヴディノ村を含むドニプロ川西岸(北側)で、東岸(南側)を占領するロシア軍と対峙(たいじ)し、川をはさんで戦闘が続いています。前線から約30キロに位置するプラヴディノ村一帯には、砲声が立て続けに数発、南の方角から伝わって来ます。
プラヴディノ村で4人の子どもを育てるナスチャさん(31歳)は、「AARからの支援金で、冬に備えて暖かい子ども服を買うつもりです。私たちのことを心配してくれる日本の皆さんに感謝します」と話します。
決して充分な金額とは言えないものの、支援を受け取ったプラヴディノ村の人々は、遠い日本から届いた支援に対して、感謝の思いを口にしていました。引き続き、AARはウクライナ国内の残った人々への人道支援へ実施してまいります。ご支援、ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
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AARは現地協力団体「The Tenth of April」とともに、南部ミコライウ州、ヘルソン州の困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行っています。
「私は歩行が困難で、松葉杖(まつばづえ)を使って家の中を移動するしかなく、高血圧や心臓病も患っていてね。子どもたちは外国に住んでいて、ひとり暮らしは心細い。生活費の支給は本当にありがたい。まず薬を買って、去年(2023年)は冬ごもりのために必要なものを買いそろえることができた。日本の皆さんに『ありがとう』と伝えてほしい。」ヘルソン州ブラホダトネ村に暮らすマリアさん(75歳)は話します。
同村は戦争が始まって以来、ロシア軍に9カ月間占領されていましたが、その後ウクライナ軍が奪還した地域です。住民は親しい人々や隣人を失うなどつらい体験をし、現在も厳しい生活を余儀なくされています。
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AARは現地協力団体「The Tenth of April」とともに、南部ミコライウ州、ヘルソン州の国内避難民と地元住民への食料配布を実施しています。
「日本で大地震が発生し、多くの方が亡くなったことをニュースで知りました。それにもかかわらず、こうしてウクライナを支援し続けてくださる日本の皆さんに本当に感謝します」。そう話すのは、ヘルソン州との州境にあるミコライウ州リマニ村で3人の娘たちと避難生活を送るリタさん(28歳)。
同村は戦闘の前線からそう遠くない地域です。なぜもっと遠くに避難しなかったのかと尋ねると、「少しでも地元の近くにいたかったから」。こうした思いを抱えて、ウクライナではあえて戦闘地域の近くや、もともと住んでいた場所に近い地域に留まる避難民の人々が少なくありません。
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センター開設当初からボランティアメンバーとして活動するリュボーフィさん、イリーナさん母子は、軍事侵攻開始から1カ月半後の2022年4月上旬、暮らしていた東部ドネツク州へのロシア軍の攻撃が激化し、イリーナさんの15歳の息子と3人でモルドバに避難することを決意しました。
また、隣国モルドバの首都キシナウで現地協力団体と協力し、コミュニティーセンター「Space for Smile」を運営しています。長引く避難生活を余儀なくされているウクライナ難民と地元住民に必要な支援を提供するとともに、双方の交流の場として親しまれています。
イリーナさんは「この冬にはウクライナに戻れると思っていましたが、2年たっても状況は変わりません。いつまで支援を受けられるか分からないし、先のことが見通せないのはとても不安です」。そんな二人にとって、このセンターは「戦争のことをしばし忘れて心穏やかに過ごすことができる大切な居場所」だと言います。
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ロシアの軍事侵攻を逃れた約11万人のウクライナ難民が暮らす隣国モルドバ。AARは2023年7月、首都キシナウに難民と地元住民が交流するコミュニティーセンター「Space for Smile」を開設し、たくさんの人々で連日にぎわっています。
「子どもたちは、こんな飾りを喜ぶかしら」「こっちの色にしましょうか」――。雪がちらつき始めた寒い日の午後、暖房を入れたセンターには、クリスマスの飾りつけを作るためにボランティアメンバーが集まっていました。色とりどりの花やキャンディー、雪だるまなどをあしらった美しい飾りが次々に手作りされていきます。
AARが現地協力団体レジーナ・パシス(Regina Pacis Foundation)と運営する同センターには社会福祉士が常駐し、相談者のニーズを丁寧に聞いて個別支援をしています。モルドバに避難して日が浅い難民世帯、ひとり親で子どもが多い家族、障がいや持病を持つ人々など、問題を抱えた人を特定して継続的な支援を提供することは、このセンターの大事な役割のひとつ。協力団体の医師や心理療法士による専門的な支援にもつないでいます。
もうひとつの大切な役割は、難民・地元住民双方にとっての「憩いの場」であること。AARはセンターの利用者に対して、日々さまざまなプログラムやイベント、時には郊外の遠足などを企画し、誰もが気軽に交流できる機会を用意しています。もちろん、こうした活動を支えるボランティアメンバーもセンターの大切な一員です。
AAR Japanが資金援助を続けるウクライナ中部ヴィンニツァ州に拠点を置く知的障がい者の親の会オープン・ハーツ。AAR職員が2023年9月下旬に訪ねると、知的障がいのある子どもたちがゲームを楽しんでいました。
ここで実施されているのは、「レスパイト・ケア」(障がい者と介護者が一時的に離れて過ごすことで「ひと休み」する支援)と呼ばれるプログラム。1グループあたり8人の障がい児が12日間滞在し、ソーシャルワーカーのケアを受けながら、木工細工や料理、ダンス、屋外活動などさまざまなアクティビティに取り組みます。
介護者(多くの場合は母親)はその間に介護を離れて休息を取ったり、普段はできない用事を済ませたりします。障がいのある10歳の娘を持つヴィクトリアさんは、「オープン・ハーツのレスパイト・ケアに娘を預けて、普段なかなか作れない自分の時間を持つことができました。娘も同年齢の仲間と一緒で楽しかったようです」と笑顔で話しました。
AARは同団体が運営する施設の2階部分に6つの居室と倉庫、会議スペースを整備するのを支援し、国内避難民や障がい者を最大74人まで受け入れることが可能になりました。居室にはレスパイト・ケアの参加者が滞在し、会議スペースは障がい児のアクティビティや保護者向けのセミナーなどに活用されています。
AARとオープン・ハーツの協働事業はヴィンニツァ州政府からも高い評価を得ています。ナターリャ・ザボロトナ第一副知事は「多くの人道支援団体がヴィンニツァ州を支援してくれていますが、障がい者支援はほとんどありません。私たちは日本からの支援に感謝しています」と話してくれました。
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首都キシナウに新たなコミュニティーセンターを開設し、誰もが安心して過ごせる場所を提供しました。
AARは軍事侵攻が始まった直後の2022年3月、モルドバ国内でウクライナ難民支援を開始しました。継続的な取り組みを通じて、経済的に決して豊かではないモルドバの地元住民の中にも支援を必要とする人々が多数存在することを認識し、現在は難民と地元住民の双方に対して支援を行っています。
このセンターは、利用者登録をすれば、ウクライナ人もモルドバ人も、いつでも誰でも訪れることができます。ほっと一息ついて利用者同士で交流したり、子どもたちは本の読み聞かせや図画工作、大人は読書やガーデニング、アウトドアなど興味のあるアクティビティに参加したりすることもできます。
さらに、ここではさまざまな問題を抱える利用者に対して、必要に応じた個別支援を提供します。職員が面談をして、その人が直面する健康あるいは心の問題、経済的な問題などを把握し、継続的にサポートしていくこともセンターの重要な役割です。支援を必要とする人を特定した場合は、協力団体の医師・心理療法士と連携して、より専門的なサービスを受けられるようにします。
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AARは現地協力団体と連携し、女性と子どもを中心とする難民の人々が医療・教育などの公的サービスを受けながら生活環境を整え、子どもの将来を描くことができる支援を実施しています。そのひとつとして、キシナウ市内に開設したコミュニティーセンターでは、ウクライナ難民とモルドバ住民双方の母子家庭や障がい者世帯など、特に困窮する人々が必要不可欠なサポートを受けられるように支援しています。
相談窓口には難民や住民から「収入が乏しく生活が苦しい」「持病の治療を受けたいが、どこに行けばいいか」などの相談が持ち込まれ、カウンセリングにあたる社会福祉士が一人ひとりの生活状況やニーズを把握して、食料・生活用品を提供したり、行政や支援団体による医療サービスにつないだりします。AARは現地協力団体を通じてコミュニティーセンターの運営を支えています。
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AARは知的障がい者の親の会2団体、車いす利用者の1団体を支援しています。キーウ州内にある知的障がい者の親の会ジェレラの活動施設を訪ねました。
ここでは「レスパイト・ケア」と呼ばれるプログラムがAARの資金援助で実施されています。レスパイト(Respite)とは「息抜き」「ひと休み」という意味です。障がい者の家族(その多くは母親)は、長期間あるいは一生を通して介護を続けなければなりません。レスパイト・ケアは介護者と障がい当事者が一時的に離れて過ごすことによって、介護者が自身の心と身体を労る時間を設ける手法です。また、障がい者自身も落ち着いた環境で仲間たちと過ごすことができます。
施設にいる参加者の中には、一見すると知的障がい者に見えない人もいます。精神保健福祉士のタマラさんによると、「例えばダウン症のアーニャは、ここでの活動をプログラムへの参加を通じてコミュニケーションの取り方が上手になりました」「自閉症のボーバは強いこだわりがありますが、彼が興奮した時の対処法が分かっているので、彼を落ち着かせて共同生活を続けることができます」。
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ロシアの軍事侵攻が続くウクライナでは、地雷・不発弾の存在が深刻な問題になっています。AARは英国の地雷除去専門NGOヘイロー・トラストを通じて、ウクライナの地雷除去をサポートしています。
首都キーウから北東に約30キロ、主要幹線道路沿いの村ザリーシャ。何の変哲もない小さな村で、地雷除去作業が行われていました。なぜ、ここに地雷原があるのか。それは侵攻初期、キーウ包囲を企図したロシア軍が陣地を設けていたためです。
ザリーシャ村の地雷原は幹線道路沿いの松林の中にあり、人々は地雷原と隣り合わせで暮らしています。松林の中にロシア軍の塹壕(ざんごう)の跡があって、反撃を受けて慌てて撤退したらしく、運動靴などさまざまなものが散乱していました。
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AAR Japan[難民を助ける会]は1979年に日本で発足した国際NGOです。
現在、シリア難民をはじめ、ロヒンギャ難民やコンゴ難民などの難民支援や、障がい者支援、地雷対策などを、世界16カ国で実施しています。
特に困難な状況にある方たちに迅速に支援を届けることをモットーとしています。世界各国での緊急支援の経験を生かし、いち早く現場に駆け付け活動しています。
このプロジェクトでは領収書の発行をおこなっておりません。
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記入された応援のコメントは、寄付先団体およびYahoo!ネット募金の広報・宣伝活動(記者会見やプレスリリースでのご紹介等を含む)に 使用させていただく場合がございます。
ご了承の上、コメントを記載いただきますようお願いいたします。(2020年9月23日追記)
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