寄付受付開始日:2022/03/01
更新日:2024/10/11
【ウクライナの方々へ日本から支援を】
ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まってから2年半。戦闘の終わる気配が見えない中、ウクライナでは国外に脱出した難民の数は約650万人に加え、約310万人の国内避難民が厳しい状況に置かれています。AAR Japan[難民を助ける会]は、ウクライナ国内、日本で難民・避難民のニーズに合わせた支援を行っています。
1.ウクライナでの活動
■被災した家屋の修繕
ロシア軍の攻撃により住居が被害を受けた世帯に対して、現地協力団体と連携して、防水シートや木材などの住居修繕資材の配布を行います。配布は女性の単身世帯や障がい者がいる世帯、高齢者世帯などの社会的な立場が弱くなりやすい世帯を優先します。
■地雷や爆発物によって被害を受けたコミュニティーの復興
ウクライナ国内に埋設された地雷や不発弾の被害者に対して、リハビリテーションを提供する医療施設の整備や機材の提供を行います。また、障がいのある人々や地雷被害者を含む住民を対象に、福祉サービスに関する情報を提供したり、心理的・社会的な支援を行ったりします。さらに、地域社会で障がいについての理解を深めるための啓発活動もサポートします。
2.日本での活動
■来日ウクライナ避難民支援
ウクライナから2,000人以上の方が日本に避難しています。言葉や就労、教育など多様化する避難民のニーズに対応するために、サポートを続けています。姉妹団体である社会福祉法人さぽうと21と協働で実施しています。
【これまでの難民支援】
1979年に設立したAARは、政治・思想・宗教に偏らずに活動することを基本理念として40年以上にわたり活動しています。これまでにインドシナ難民やチェチェン難民、近年ではロヒンギャ難民やアフガニスタン避難民への支援を実施。食料や物資の配布などの緊急支援を行ってきました。今回の支援においても、難民支援の経験のある緊急支援チームが活動にあたります。困難な状況下にある人々の中でも、特に弱い立場にある方々へ、長期的な視点をもって支援していくことを重視して活動しています。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
ウクライナ危機発生より、 2024年8月で2年半を迎えましたが、ロシア軍による軍事侵攻は続いています。今後も難民・避難民への支援などを続けていく必要があるため、寄付受付期間を延長いたします。皆さまのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。(2024年8月27日更新)
ウクライナ難民への緊急支援活動に、大切に活用させていただきます。支援現場で必要とされるものを届けていきます。
最新の情報は随時当会ホームページ、SNSなどをご覧ください。
認定NPO法人 難民を助ける会 公式サイト
“#ウクライナ緊急支援”
更新日:2024/10/11
AARは、ロシアの軍事侵攻が続く、ウクライナ南部のヘルソン州で、困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行いました。
2024年9月12日、AAR職員は現地協力団体「The Tenth of April(TTA)」の現場チームとともに、ヘルソン州の北西端プラヴディノ村は訪れました。ウクライナ軍は州都ヘルソン市やプラヴディノ村を含むドニプロ川西岸(北側)で、東岸(南側)を占領するロシア軍と対峙(たいじ)し、川をはさんで戦闘が続いています。前線から約30キロに位置するプラヴディノ村一帯には、砲声が立て続けに数発、南の方角から伝わって来ます。
プラヴディノ村で4人の子どもを育てるナスチャさん(31歳)は、「AARからの支援金で、冬に備えて暖かい子ども服を買うつもりです。私たちのことを心配してくれる日本の皆さんに感謝します」と話します。
決して充分な金額とは言えないものの、支援を受け取ったプラヴディノ村の人々は、遠い日本から届いた支援に対して、感謝の思いを口にしていました。引き続き、AARはウクライナ国内の残った人々への人道支援へ実施してまいります。ご支援、ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
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AARは現地協力団体「The Tenth of April」とともに、南部ミコライウ州、ヘルソン州の困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行っています。
「私は歩行が困難で、松葉杖(まつばづえ)を使って家の中を移動するしかなく、高血圧や心臓病も患っていてね。子どもたちは外国に住んでいて、ひとり暮らしは心細い。生活費の支給は本当にありがたい。まず薬を買って、去年(2023年)は冬ごもりのために必要なものを買いそろえることができた。日本の皆さんに『ありがとう』と伝えてほしい。」ヘルソン州ブラホダトネ村に暮らすマリアさん(75歳)は話します。
同村は戦争が始まって以来、ロシア軍に9カ月間占領されていましたが、その後ウクライナ軍が奪還した地域です。住民は親しい人々や隣人を失うなどつらい体験をし、現在も厳しい生活を余儀なくされています。
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AARは現地協力団体「The Tenth of April」とともに、南部ミコライウ州、ヘルソン州の国内避難民と地元住民への食料配布を実施しています。
「日本で大地震が発生し、多くの方が亡くなったことをニュースで知りました。それにもかかわらず、こうしてウクライナを支援し続けてくださる日本の皆さんに本当に感謝します」。そう話すのは、ヘルソン州との州境にあるミコライウ州リマニ村で3人の娘たちと避難生活を送るリタさん(28歳)。
同村は戦闘の前線からそう遠くない地域です。なぜもっと遠くに避難しなかったのかと尋ねると、「少しでも地元の近くにいたかったから」。こうした思いを抱えて、ウクライナではあえて戦闘地域の近くや、もともと住んでいた場所に近い地域に留まる避難民の人々が少なくありません。
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センター開設当初からボランティアメンバーとして活動するリュボーフィさん、イリーナさん母子は、軍事侵攻開始から1カ月半後の2022年4月上旬、暮らしていた東部ドネツク州へのロシア軍の攻撃が激化し、イリーナさんの15歳の息子と3人でモルドバに避難することを決意しました。
また、隣国モルドバの首都キシナウで現地協力団体と協力し、コミュニティーセンター「Space for Smile」を運営しています。長引く避難生活を余儀なくされているウクライナ難民と地元住民に必要な支援を提供するとともに、双方の交流の場として親しまれています。
イリーナさんは「この冬にはウクライナに戻れると思っていましたが、2年たっても状況は変わりません。いつまで支援を受けられるか分からないし、先のことが見通せないのはとても不安です」。そんな二人にとって、このセンターは「戦争のことをしばし忘れて心穏やかに過ごすことができる大切な居場所」だと言います。
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ロシアの軍事侵攻を逃れた約11万人のウクライナ難民が暮らす隣国モルドバ。AARは2023年7月、首都キシナウに難民と地元住民が交流するコミュニティーセンター「Space for Smile」を開設し、たくさんの人々で連日にぎわっています。
「子どもたちは、こんな飾りを喜ぶかしら」「こっちの色にしましょうか」――。雪がちらつき始めた寒い日の午後、暖房を入れたセンターには、クリスマスの飾りつけを作るためにボランティアメンバーが集まっていました。色とりどりの花やキャンディー、雪だるまなどをあしらった美しい飾りが次々に手作りされていきます。
AARが現地協力団体レジーナ・パシス(Regina Pacis Foundation)と運営する同センターには社会福祉士が常駐し、相談者のニーズを丁寧に聞いて個別支援をしています。モルドバに避難して日が浅い難民世帯、ひとり親で子どもが多い家族、障がいや持病を持つ人々など、問題を抱えた人を特定して継続的な支援を提供することは、このセンターの大事な役割のひとつ。協力団体の医師や心理療法士による専門的な支援にもつないでいます。
もうひとつの大切な役割は、難民・地元住民双方にとっての「憩いの場」であること。AARはセンターの利用者に対して、日々さまざまなプログラムやイベント、時には郊外の遠足などを企画し、誰もが気軽に交流できる機会を用意しています。もちろん、こうした活動を支えるボランティアメンバーもセンターの大切な一員です。
AAR Japanが資金援助を続けるウクライナ中部ヴィンニツァ州に拠点を置く知的障がい者の親の会オープン・ハーツ。AAR職員が2023年9月下旬に訪ねると、知的障がいのある子どもたちがゲームを楽しんでいました。
ここで実施されているのは、「レスパイト・ケア」(障がい者と介護者が一時的に離れて過ごすことで「ひと休み」する支援)と呼ばれるプログラム。1グループあたり8人の障がい児が12日間滞在し、ソーシャルワーカーのケアを受けながら、木工細工や料理、ダンス、屋外活動などさまざまなアクティビティに取り組みます。
介護者(多くの場合は母親)はその間に介護を離れて休息を取ったり、普段はできない用事を済ませたりします。障がいのある10歳の娘を持つヴィクトリアさんは、「オープン・ハーツのレスパイト・ケアに娘を預けて、普段なかなか作れない自分の時間を持つことができました。娘も同年齢の仲間と一緒で楽しかったようです」と笑顔で話しました。
AARは同団体が運営する施設の2階部分に6つの居室と倉庫、会議スペースを整備するのを支援し、国内避難民や障がい者を最大74人まで受け入れることが可能になりました。居室にはレスパイト・ケアの参加者が滞在し、会議スペースは障がい児のアクティビティや保護者向けのセミナーなどに活用されています。
AARとオープン・ハーツの協働事業はヴィンニツァ州政府からも高い評価を得ています。ナターリャ・ザボロトナ第一副知事は「多くの人道支援団体がヴィンニツァ州を支援してくれていますが、障がい者支援はほとんどありません。私たちは日本からの支援に感謝しています」と話してくれました。
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首都キシナウに新たなコミュニティーセンターを開設し、誰もが安心して過ごせる場所を提供しました。
AARは軍事侵攻が始まった直後の2022年3月、モルドバ国内でウクライナ難民支援を開始しました。継続的な取り組みを通じて、経済的に決して豊かではないモルドバの地元住民の中にも支援を必要とする人々が多数存在することを認識し、現在は難民と地元住民の双方に対して支援を行っています。
このセンターは、利用者登録をすれば、ウクライナ人もモルドバ人も、いつでも誰でも訪れることができます。ほっと一息ついて利用者同士で交流したり、子どもたちは本の読み聞かせや図画工作、大人は読書やガーデニング、アウトドアなど興味のあるアクティビティに参加したりすることもできます。
さらに、ここではさまざまな問題を抱える利用者に対して、必要に応じた個別支援を提供します。職員が面談をして、その人が直面する健康あるいは心の問題、経済的な問題などを把握し、継続的にサポートしていくこともセンターの重要な役割です。支援を必要とする人を特定した場合は、協力団体の医師・心理療法士と連携して、より専門的なサービスを受けられるようにします。
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AARは現地協力団体と連携し、女性と子どもを中心とする難民の人々が医療・教育などの公的サービスを受けながら生活環境を整え、子どもの将来を描くことができる支援を実施しています。そのひとつとして、キシナウ市内に開設したコミュニティーセンターでは、ウクライナ難民とモルドバ住民双方の母子家庭や障がい者世帯など、特に困窮する人々が必要不可欠なサポートを受けられるように支援しています。
相談窓口には難民や住民から「収入が乏しく生活が苦しい」「持病の治療を受けたいが、どこに行けばいいか」などの相談が持ち込まれ、カウンセリングにあたる社会福祉士が一人ひとりの生活状況やニーズを把握して、食料・生活用品を提供したり、行政や支援団体による医療サービスにつないだりします。AARは現地協力団体を通じてコミュニティーセンターの運営を支えています。
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AARは知的障がい者の親の会2団体、車いす利用者の1団体を支援しています。キーウ州内にある知的障がい者の親の会ジェレラの活動施設を訪ねました。
ここでは「レスパイト・ケア」と呼ばれるプログラムがAARの資金援助で実施されています。レスパイト(Respite)とは「息抜き」「ひと休み」という意味です。障がい者の家族(その多くは母親)は、長期間あるいは一生を通して介護を続けなければなりません。レスパイト・ケアは介護者と障がい当事者が一時的に離れて過ごすことによって、介護者が自身の心と身体を労る時間を設ける手法です。また、障がい者自身も落ち着いた環境で仲間たちと過ごすことができます。
施設にいる参加者の中には、一見すると知的障がい者に見えない人もいます。精神保健福祉士のタマラさんによると、「例えばダウン症のアーニャは、ここでの活動をプログラムへの参加を通じてコミュニケーションの取り方が上手になりました」「自閉症のボーバは強いこだわりがありますが、彼が興奮した時の対処法が分かっているので、彼を落ち着かせて共同生活を続けることができます」。
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ロシアの軍事侵攻が続くウクライナでは、地雷・不発弾の存在が深刻な問題になっています。AARは英国の地雷除去専門NGOヘイロー・トラストを通じて、ウクライナの地雷除去をサポートしています。
首都キーウから北東に約30キロ、主要幹線道路沿いの村ザリーシャ。何の変哲もない小さな村で、地雷除去作業が行われていました。なぜ、ここに地雷原があるのか。それは侵攻初期、キーウ包囲を企図したロシア軍が陣地を設けていたためです。
ザリーシャ村の地雷原は幹線道路沿いの松林の中にあり、人々は地雷原と隣り合わせで暮らしています。松林の中にロシア軍の塹壕(ざんごう)の跡があって、反撃を受けて慌てて撤退したらしく、運動靴などさまざまなものが散乱していました。
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「明日、私の夫は35回目の誕生日を迎えるはずだったんです。もう彼はいませんけれど……」。ぽつりとつぶやいたのは、29歳のカテリーナさん。東部ハルキウ州から4人の子どもと義母を連れて避難してきました。カテリーナさんたちが出発した3日後、夫のニコライさんもバスで避難してくるはずでした。ところが、ニコライさんはロシア軍に撃たれ、帰らぬ人となりました。「長男と次男は父親が亡くなったことを理解していますが、下の2人はまだ分かっていません。どう説明したらよいものか……」。
そう話すカテリーナさんの横で無邪気にはしゃぐ末っ子のエマちゃんは、先月3歳の誕生日を迎えたばかりです。まだ幼く、お父さんを亡くしたことを理解できないのも無理はありません。平和で穏やかな日々が突如として奪われ、ニコライさんもさぞ無念だったに違いありません。
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「雪が降って寒い日もあったけど、みんなで学校に通ったり、部屋で遊んだりして楽しかったよ!」――。
静かな田舎町のはずれにあるヤズローヴィツ修道院には、軍事侵攻が始まって間もなく、攻撃にさらされた東部や南部地域から多数の国内避難民が逃れて来ました。その大多数はシングルマザーを含む若い母親と幼い子どもたち、それにお年寄りでした。一時は100人を超える人々が身を寄せたこともあります。
AARはこの1年間、ポーランドから越境して食料や衛生用品、子ども服などを輸送したほか、オンラインによる小学生の遠隔授業のためのパソコン、幼い子どもたちが遊ぶ屋外の遊具を提供しました。修道院側も建物の中に保育所を仮設したり、学習が途切れないよう個別授業を行ったり、子どもたちを支える取り組みを続けました。ポーランドからやって来るボランティアも大きな役割を果たしています。
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ロシアの軍事侵攻は、私たちと同じように普通に暮らしていた人々の生活を壊しました。そして、命からがら逃れて来たモルドバでも、それぞれの生活、人生、未来は大きく歪(ゆが)められたままです。
ウクライナ南部から逃れて来たドミトリーさん・アントニナさん夫婦は、娘のイヴァンナさん、ヴァレリアさんとバルティ市内の公営団地で生活しています。モルドバ出身のドミトリーさんは約20年間ウクライナで暮らし、夫婦で縫製業を営んでいました。「資金を準備してようやく開業したばかりでした。ところが、戦争が始まって店も家も失い、大切なミシンなどの設備はすべて盗まれてしまいました」。
「戦争が終わってもウクライナに帰ることはないでしょう。このままモルドバで事業を再開したいのですが、何もかも失った私たちには担保になる財産がなく、銀行からの借り入れもできません」とドミトリーさんは嘆きます。AARは現地協力団体を通じて暖房器具や寝具を提供したほか、視力に問題があるヴァレリナさんの治療をサポートしています。
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モルドバに避難しているマリア・シリストラさんは、ウクライナ南部の都市ミコライウから避難して来ました。娘のサブリナさん、ソフィアさんと一緒です。マリアさんは「亡くなった母がファレシュティ生まれで、義理の姉妹たちがここに住んでいるので、戦争が始まる前からよく訪れていました。この町のことはよく知っていましたし、戦争が始まるとすぐ姉妹たちが避難して来るように言ってくれました」。
マリアさんは現在、市内の玩具工場で働いていますが、給料が安くて生活は大変です。マリアさんは「モルドバの人たちがとても親切にしてくれるだけでなく、遠い日本からも支援が届いています。私たちを支えてくれる日本の人々に心からありがとうと伝えたいですね」。サブリナさんは「いつか日本の人たちに会って友だちになりたいな」と付け加えました。
モルドバで出会ったウクライナ難民の大多数は母親と子どもです。母親たちは戦火と暴力から子どもたちを守るために、モルドバの地で必死に生活しています。
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AAR Japan[難民を助ける会]は1979年に日本で発足した国際NGOです。
現在、シリア難民をはじめ、ロヒンギャ難民やコンゴ難民などの難民支援や、障がい者支援、地雷対策などを、世界16カ国で実施しています。
特に困難な状況にある方たちに迅速に支援を届けることをモットーとしています。世界各国での緊急支援の経験を生かし、いち早く現場に駆け付け活動しています。
このプロジェクトでは領収書の発行をおこなっておりません。
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記入された応援のコメントは、寄付先団体およびYahoo!ネット募金の広報・宣伝活動(記者会見やプレスリリースでのご紹介等を含む)に 使用させていただく場合がございます。
ご了承の上、コメントを記載いただきますようお願いいたします。(2020年9月23日追記)
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