寄付受付開始日:2022/03/03
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更新日:2025/08/20
ウクライナにおける人道危機をうけ、直ちに、緊急支援が必要です。CAREは、パートナー団体「People in Need」と連携し、この危機の影響を受けたウクライナの人々に対して、緊急支援を提供します。
ウクライナでは、インフラの損傷に加えて、水と食糧の不足が懸念されます。過去8年間に及ぶ紛争により、ウクライナ全土に重大な傷跡が残りました。ウクライナ東部には、既に、人道支援を緊急に必要としている人々が290万人います。そして、今回のロシア軍の侵攻により、この数は急激に増加しており、人道危機の程度を予測することは困難な状況です。
「世界は今、考えられない事態に直面しています。2月24日に始まった敵対行為の激化は、より広い地域へ影響を与えることに留まらず、ウクライナの人々に壊滅的な危機をもたらしています。その影響は、一般の人々にまでも及んでいます。すでに暖房や食糧などの基本的なニーズを満たすことが困難な状況に陥っており、今では安全な避難所を見つけることに必死です」と、CARE事務総長のソフィア・スプレッチマンは訴えています。

【ウクライナでの緊急支援について】
CAREは、ウクライナで活動を行うパートナー団体「People in Need」と協力して、食糧、水、衛生キット、現金などの緊急に必要な緊急物資を配布し、日々のニーズに対応していきます。
「People in Need」は、東ヨーロッパで最大の非政府組織の1つであり、2014年の紛争開始以来、ウクライナの影響を受けた地域で人道援助を提供してきたことから、ウクライナの人々を支援するための豊富な経験と実績を有しています。
さらに、CAREは、専門スタッフによる心理社会的サポートを提供します。現在進行中の紛争によってもたらされるウクライナの人々への心理的影響とトラウマを、過小評価できません。
ウクライナの人々の命と未来を守るために、今、できることがあります。
どうか「ウクライナ危機緊急支援募金」へ、皆さまのご協力をよろしくお願いします。
<寄付受付期間延長のお知らせ>
戦争が長期化している中、CAREは2027年まで支援活動を継続することが決まっており引き続き支援金が必要となるため、寄付受付期間を延長いたします。(2025年8月20日更新)
「ウクライナ危機緊急支援事業」の活動費として使用させていただきます。
・現地パートナー団体と協力して、食糧、水、衛生キット、現金などの緊急に必要な緊急物資の配布
・専門スタッフによる心理社会的サポートを提供
・現地状況に応じた人道援助
"#ウクライナ緊急支援"
更新日:2025/10/30

占領地から避難してきた人々が現在暮らしているザポリッジャの寮では、CAREとStabilization Support Servicesが協力し、約100枚の窓を交換しました。

ある寮の中庭で発生した攻撃により、ほぼすべての窓が吹き飛ばされました。窓の交換は完了しましたが、冬が来る前に建物と出入口のさらなる修繕が依然として必要です。

「すべてを捨ててここに来る人々に、適切な生活環境を提供したいと考えています」と、寮長のユリアさんは語ります。
このプロジェクトは、ドイツ連邦経済協力開発省(BMZ)とCAREドイツの支援による「ウクライナ中部および東部における紛争被災者、地域社会、社会システムのレジリエンスと保護の強化」プログラムの一部として実施されています。
このプロジェクトで、ドニプロペトロウシク、ハルキウ、ザポリッジャ地域において、合計450戸の民家と、16の公共施設を修復し、さらに緊急時に人々を支える地域拠点の整備を進めています。

本格的な侵攻が始まると、ヘルソン州ヴェリカ・オレクサンドリウカはまさに最前線に立たされました。2022年3月10日、ロシア軍がこの町に侵攻しました。地元の公共施設は機能を停止し、店は略奪され、人々の生活は耐え難いものとなりました。
占領軍は水道局を接収し、「処刑する」と脅迫し、従業員の水道利用を禁じました。その後、一部の従業員は、やはり死の脅しを受けつつ、占領軍のために損傷したインフラの修復を強いられました。地元の水道局の責任者であるイホル・ホロウコ氏は、当時を振り返りこう語ります。
「事業を継続し、水を供給し、下水ポンプ場を維持するために、できる限り長く留まりました。しかし、3月30日、占領軍が町を掌握しました。4月1日、私は家族とともに裏道を通って脱出することができました。住民の半分以上が町を去ったのです。」

占拠は2022年10月4日まで続きました。解放からわずか2日後、イホルさんは帰還しました。
「最初に向かったのは水道局でした。下水ポンプ場は爆破され、圧力管は破壊され、事業所のすべての資産が破壊されていました。私自身の家も、兵士たちが7カ月間暮らした後、略奪され、壊滅状態でした。」
しかし、そのような惨事の中でも復旧はすぐに始まりました。
「最初の2カ月間は、人々は純粋な熱意から無給で働きに来ました。ポンプを再稼働させると、パイプラインの復旧と漏水箇所の特定に着手しました。水道局の職員たちは素晴らしい仕事をしてくれました。」

国際的な支援は、町の復興の生命線となりました。
「ポンプ、ケーブル、そして小さなボルトに至るまで、すべての機器は提供されました。そのおかげで、迅速に給水と浄水の供給を復旧することができました」
とイホルさんは説明します。
今では、ヴェリカ・オレクサンドリウカでは電気、ガス、水道が復旧しています。これは人々が帰還するための3つの条件です。工兵が地雷を除去し、電力技術者が送電網を再建し、水道局職員は精力的な作業を続けています。学校、病院、スーパーマーケット、官公庁も再開しました。
イホル氏は簡潔に語ります。
「人々が帰還するには、電気、ガス、水道がなければなりません。国際的な支援のおかげで、人々は帰ることができ、地域社会は生活を再建することができます。」

Disasters Emergency Committee(DEC:災害緊急委員会)の資金提供を受けたCAREのプロジェクト「ウクライナの被災都市および国内避難民受け入れコミュニティーへの人道支援」の一環として、ヴェリカ・オレクサンドリウカ、オチャキウ、チョルノモルスクの水道局向けに、水中ポンプ、制御盤、圧力センサーなどの最新機器が購入されました。

2025年9月を通して、CAREはパートナーであるアヴァリストと協力し、戦争と占領の影響を受けた地域への建設資材の配布を準備しました。
支援対象地域:スラビャンスク地域、クラマトルスク地域、ムィコラーイウ地域、ザポリッージャ地域
これらの地域からは、住宅や地域インフラの迅速な復旧を求める多数の要請がありました。
スラビャンスク地域では、OSBボード※1、透明PVCフィルム※2、くぎ、建設用ステープラー、固定用フォーム※3、防水シート、屋根裏防水材など、安全な修理に必要なあらゆる資材が住民に配布されました。
この支援は、900人以上の女性を含む2,549人に届きました。
※1 OSBボード:住宅の屋根や壁、床の下地材として広く使われている木質建材
※2 透明PVCフィルム:建材や保護材として使用される透明なフィルム
※3 窓枠やドア枠の固定、隙間の充填(じゅうてん)、断熱・防音などに使用される充填材・接着剤
クラマトルスク地域では、耐湿性OSBボード、金属製ステープルとくぎ、固定用フォーム、ファイバーセメントシート、屋根材が配布されました。
これにより、217人が支援を受けました。
ムィコラーイウ地域には、OSBボード600枚、固定用フォーム、建築用防水シート、補強テープが届けられ、320人が支援を受けました。
ザポリッジャ地域にはOSBボード293枚が届けられ、170人の地域住民に届きました。
この取り組みのおかげで、2025年9月だけで3,256人を支援しました。子ども連れの家族、高齢者、そして戦闘で家屋が被害を受けた人々です。
この支援は、末日聖徒イエス・キリスト教会が支援する「紛争と占領の影響を受けたドネツク州とドニプロ州への迅速対応」プロジェクトにおけるCAREとアヴァリストの協力によって実現しました。
それぞれの物資パッケージは、単なる建築資材ではありません。人々が日常生活に戻り、家を修復し、困難な時期に支えを感じるための大切な一歩なのです。


戦争で被害を受けた人々を支援するために作られた、ミコライウでの公共ランドリーのネットワークが広がっています。

現在、「Stabilization Support Services(SSS)」がCAREと提携し、「Disasters Emergency Committee(DEC)」が支援する「戦争被災都市・避難民受け入れ地域への人道支援プロジェクト」の一環として4つのランドリーがフル稼働しています。
これらのランドリーは、高齢者、子どもがいる家族、障害のある人など、毎月約100人に提供されています。
各施設には新しい洗濯機、乾燥機、清掃と消毒製品が充実しています。
洗濯物のうち、一つはソーラーパネルも装備されており、停電時でも稼働可能に。

最近では、4トン分の洗濯用洗剤や清掃用品が届けられ、長期にわたる危機の中でも安全で清潔な洗濯サービスという、基本的でありながら命を守るために欠かせない支援が継続できるようになっています。
パートナーの皆さま、そして現地チームの皆さまの、困難な状況の中でも人々の生活を少しでも良くしようと日々尽力されていることに、心から感謝いたします。

ウクライナ侵攻が長期化するなか、影響を受ける人々、
特に子どもたちの心のケアはとても重要です。

困難な状況の中で暮らす子どもたちに、少しでも明るい時間を届けたい——そんな想いから、ケア・インターナショナル ジャパンとパートナー団体アバリストが連携し、ドネツク州とドニプロペトロウシク州に住む子どもたちに606個のギフトセットを届けました。
ギフトの中身は、粘土やパズル、アートキット、ボードゲーム、スポーツ用品、そしてお菓子など、ワクワクが詰まったセットです。子どもの年齢や興味多様性に合わせて丁寧に準備されました。障害のある子どもたちには、それぞれのニーズに合わせたギフトが贈られました。

特に、国内避難民、ひとり親家庭、低所得世帯、障がいのある子を育てるご家庭を優先して支援をしました。合計406世帯をサポートし、そのうち3分の1以上が避難民のご家族でした。
ギフトが届いた地域は、スロヴィヤンシク、スヴャトヒルシク、アンドリイウカ、チェルカスカ、モヒリウ、パヴロフラドなど。また、避難民の一時避難所「リソヴァ・カズカ」キャンプでは、47人の子どもたちに心を込めたプレゼントを手渡しました。

配達の日には、グループゲームやワークショップ、景品付きのコンテストも開催!
日本から寄せられたあたたかいお気持ちを、このような形に変えられて心が休まらない状況に置かれた子どもたちに届けられたことをうれしく思います。
皆さまのご支援に心より感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
CAREチームと欧州連合(EU)代表団は、ドネツィク州にあるパートナー団体「Avalyst」を訪問しました。この訪問の中心となったのは、「支援する人たちに寄り添い続ける」という想いです。
一緒に訪れたのは、ミコライウカ村でのグループ向け心理社会的サポート活動、スロビャンシクの「Avalyst」コミュニティーセンターでのスタッフとの交流、スヴャトヒルシクのコミュニティーセンターでの別のグループ活動。

これらの訪問は、単なるモニタリングではありません。最前線に近い地域に暮らす人々の現実に向き合い、支援とは物資やサービスだけでなく、「ケア」「尊厳」「そこにいること」そのものだと改めて感じる機会でした。
「この訪問はとても重要なものでした。プロジェクトに関わるすべての関係者が集まり、現在のニーズや課題、現地の働く環境について率直で意義のある対話を持つことができたからです。
何より、プログラムが実際に行われている場所で直接現場を見ながら話し合えたことが大きな意味を持ちました。
Avalystの素晴らしいスタッフだけでなく、支援を受けている当事者の方々とも直接お話しすることができ、彼らの声や感謝の言葉を通して、人道支援の現場に「存在すること」がいかに重要かを改めて実感しました。」
—イェヴヘニヤ・ジェクン(CARE・ジェンダーに基づく暴力対策コーディネーター)
私たちはこれからも、パートナーとともに、最も支援を必要とする人々のそばに立ち続けます。
ケアと保護、そして希望を、もっとも必要とされる場所へ届けていきます。
オレクシーさんはドネツク州ポクロフスクで生まれ育ちました。2022年に戦争が激化した後、彼と彼の家族は故郷を離れ、ドニプロへの移住を余儀なくされました。

現在、ポクロフスクは占領の脅威にさらされています。街の出入り口は安全上の理由からすでに閉鎖されています。しかし、オレクシーをはじめ、多くの人々にとって故郷を離れざるを得なかった今、その街を失うことは、子どもの頃の思い出や幸せだった過去の破壊を意味しています。
「ポクロフスクの思い出は、最愛の場所の思い出」
ポクロフスクは、本格的な戦争が始まる前までは、私の人生のすべてでした。私はこの街で生まれ、育ち、学校に通いました。そして人道支援活動ワーカーとしてのキャリアをスタートさせたのもポクロフスクでした。
一番鮮明に残っている記憶は……むしろ特定の場所にまつわるものです。
例えば、私たちには特別な公園がありました。ドニプロですら、それに匹敵するものを見つけることはできませんでした。その公園は大きなテーマパークのように輝き、あちこちに噴水がありました。ポクロフスクに対する私の印象は、平和で、何よりも発展し続けていた繁栄する街というものです。雪景色のロマンチックさと静けさも印象に残っています。

「去る時、街には二度と戻れない気がした」
戦争が激化したとき、ポクロフスクは静かでした。特に最初の数日は。
しかしその後、砲撃が始まり、3月に私たちは避難を決意しました。本当は去りたくありませんでした。二度と戻れない気がしていました。それでも、心のどこかで、いつか戻れるという希望を抱いていました。
ポクロフスクの中でも何度か移動しました。妻の両親の家に住んだり、私が働いていた人道支援団体のゲストハウスに住んだりしました。それは壮絶なものでした。私、妻、子ども、ヘルメット、防弾チョッキ……
そして常に「もし砲撃を受けたらどうするか」と頭の中で考え続けていました。考えたくはありませんでしたが、考えざるを得ませんでした。毎日が最後の日になるかもしれないという現実が、はっきりと理解できました。
そしてついに、私たちは荷物をまとめ、他の親戚たちと3台の車で避難しました。
「ニュースを見ていると、自分のこども時代を過ごした街が破壊されるのを目の当たりにします」
多くの人にとって、ポクロフスクは今やドニプロペトロウシク地域の手前にある最後の大きな街でしかありません。そして、多くの人がそのような観点で心配しています。しかし、私にとっては、そこは故郷です。
この2年半で、私は自分を客観的に保つ方法を学びました。マリウポリやバフムート、他の街についてのニュースを見てきたからです。今では、人々を支援しながら働くことで、この状況を乗り越えています。私たちはこの状況を受け入れました。
実際、精神的な準備することは非常に難しく、ほぼ不可能です。もし、神が禁じたとしても、街が破壊され、家がなくなったというニュースが流れたら、私は極限の感情に襲われるでしょう。しかし今のところ、冷静で理性的な心を保っています。
ポクロフスクを最後に訪れたのは2024年の春でした。妻と一緒に彼女の両親を訪ねました。当時はまだ前線は遠く、街の生活は比較的落ち着いていました。確かに、街は損傷を受けていましたが、それでもなじみのある場所を見ていると、胸が張り裂けそうでした。

「もし戻れるなら、最初に父のお墓に行きます」
ポクロフスクは、残念ながら私の人生の過去の一部となっています。妻も私も、友人たちも、もう家が残っているとは感じていません。この2年半、私たちは国内避難民として暮らし、その間に移動する生活に慣れてしまいました。
私は「家がある」という感覚を持っていません。明日どこにいるのか分からないという気持ちです。
しかし、もしポクロフスクが生き残れば……たとえ破壊されていても、それでも街が存続し、私たちが戻れるなら、まず最初に父のもとに行きます。お墓参りです。父は昨年亡くなりました。それから私たちの家へ、そしてアパートへ行きます。
「故郷にまつわる5つの言葉」
快適さ、平和、子ども時代、家族、安定。
そして、もう一つ、言葉で表せないものがあります。それは、街全体がまるでひとつの家族のようで、みんながお互いを知っているという感覚です。大都市に住んでいる今、それを特に強く感じます。しかし、残念ながらポクロフスクは私にとって過去のものとなってしまいました。
CAREウクライナチーム
CAREウクライナのチームでは、従業員の10%以上が家を失った、または家を離れることを余儀なくされています。彼らの仕事は危険を伴いますが、支援活動を続けるためにその状況を受け入れています。ウクライナの人々と地域社会は、再び立ち上がろうとする回復力があります。しかしながら、大きな課題に立ち向かうには、継続的な支援が必要となります。
どうか、ウクライナの人々が希望ある一歩、そして希望ある新しい年を踏み出せるよう、皆さまのお力添えをお願いします。
72歳のオルハさんは、ウクライナ東部ドネツク州の都市、スラビャンスクで半世紀近く同じ場所に住んでいます。しかし現在、彼女の家は居心地の良い場所とは言えない状況です。
この1年半以上、彼女の部屋の窓は青いビニールシートで覆われています。このビニールシートは日光も遮るため、彼女の部屋は常に薄暗いです。オルハさんは昨年(2023年)の冬をこのビニールシートがある状態で過ごしましたが、近いうちにCAREのパートナー団体であるアヴァリストが新しい窓の取り付けを手伝ってくれることを心待ちにしています。

「窓が取り付けられ次第、修理に取りかかります」
とオルハさんは穏やかだが悲しみを帯びた声で言います。
<戦争の痛み - 思い出と日々の生活の中で>
この家での48年間、オルハさんは多くのことを見てきました。平和な時代も、故郷スラビャンスクが戦場となった2014年に始まった戦争のことも。
「2014年、私たちはすぐに避難所を作りました。生後2カ月の赤ん坊を連れた母親もいました。年配の女性たちは、自分たちだけでは深い地下室に降りることもできず、何時間も、あるいはそれ以上そこにいなければならなかったからです」とオルハさんはふりかえります。
こうした思い出は、暗闇の中でも人々が諦めなかった時代に彼女を引き戻します。
しかし2022年、戦争が再開されると、若い住民のほとんどは逃げ出しました。
「当時はみんな、逃げられるところならどこへでも逃げました。今は行き場のない人たちだけが残り、互いに支え合っています。」
かつて30世帯あったこの建物には、現在6世帯しか住んでいません。残りは廃虚と化した家を捨てて出て行きました。窓ガラスは割れ、屋根は破損し、壁は爆発の衝撃で崩れています。
「自分たちでビニールシートを買って、できる限り家を守ろうとしました。自分たちの窓も、近所の人たちの家の窓も覆いました。彼らは家を離れましたが、私たちは今でも連絡を取り合っています」

<火薬庫の上の生活>
スラビャンスクではもう空襲警報のサイレンが鳴らないので、オルハさんと彼女の隣人たちは、近くの町から聞こえる遠くの爆発音を頼りにしています。
「爆発音が聞こえると、私たちは廊下に出ます」
地元の病院の近くにミサイルが落ちたときのことを、オルハさんは鮮明に覚えています。
「ベッドから放り出されました。ドアは吹き飛ばされ、窓は割れ、天井が落ちてきました。怖がる暇もなかったです。夢だったのか、何が起こったのか、理解できないまま起き上がりました」
近くのビルでは、若い女性のアパートにミサイルが墜落しました。彼女は一命を取り留めましたが、攻撃後、言葉を発しなくなりました。彼女はさらに6カ月間生き延びたが、トラウマが体に与えた影響によりこの世を去りました。
「人々は疲れ果て、平和を望んでいます」
とオルハさんはため息をつきます。彼女の声には痛みだけでなく、希望の光も感じられます。
「誰も戦争を誰も目の当たりにするべきではない」
オルハさんは賢明さと悲しみをもって戦争について語ります。彼女は死と破壊を目の当たりにし、戦争がいかに人々を破滅させ、その跡に迷いを残すかを見てきました。
「火薬庫の上の生活よ。今日生きていても、明日には消えてしまう。目の前で両親が死んでいくのを見ながら、子どもが恐怖で悲鳴を上げるのは恐ろしいことです。その後、子どもは周りの何にも反応しなくなります」
母として、祖母として、女性として、オルハさんは、生涯働き続けてきた高齢者が行き場を失い、子どもや若者の生活が戦争によって打ち砕かれるという現実を受け入れがたい状況です。
「戦争とは何なのか、誰も目の当たりにするべきではない。戦争は一瞬にして命を灰に変えてしまうのだから」

オルハさんはより良い日々への希望を持ち続けているが、彼女の人生は、戦争が何百万人ものウクライナ人の運命をいかに変えたかを思い起こさせます。彼女の物語は、語られることのない多くの物語のひとつに過ぎません。
しかし、オルハさんのような人々を支援する人々がいます。CAREとそのパートナー団体により、建物の屋根は最近修理され、間もなく新しい窓が設置され、オルハさんの部屋に再び日光が差し込むようになります。この重要な支援は、来るべき冬に間に合い、戦争で疲弊した女性の生活に少しでも多くの光をもたらすものです。
このプロジェクトは、欧州連合の資金援助を受けて実施されています。
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公益財団法人ケア・インターナショナル ジャパンは、世界100カ国以上で人道支援活動を行う国際NGOケア・インターナショナルの一員です。災害時の緊急・復興支援や「女性と女子」の自立支援を通して、貧困のない社会を目指しています。
このプロジェクトでは領収書の発行をおこなっておりません。
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記入された応援のコメントは、寄付先団体およびYahoo!ネット募金の広報・宣伝活動(記者会見やプレスリリースでのご紹介等を含む)に 使用させていただく場合がございます。
ご了承の上、コメントを記載いただきますようお願いいたします。(2020年9月23日追記)
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